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K-Lone




Josiah Gladwell aka K-Lone
Interview (2021)




まずはあなたのバックグラウンドから伺います。子供の頃はどんな音楽環境で育ちましたか?
僕が音楽に打ち込むことに対して両親はいつも協力的だった。クラシック音楽から始めて、その後ドラムに夢中になってバンドで演奏するようになり、その頃から音楽制作に没頭し始めた。リズムはトラックのスタート地点として最適だから、曲作りを始めたばかりの頃はドラムパターンの仕組みを知っていたことがすごく役立ったんだ。
音楽に感動した一番古い記憶を教えてください。また、自身の好みで音楽を選んで聴くようになったのはいつ頃で、最初に買ったアルバムは何でしたか?
最初に手に入れたアルバムのうちの 1 枚は R.E.M のカセットテープで、おそらく11歳か12歳の頃、父の古いテーププレイヤーで聴いていたのをはっきりと覚えているよ。それが僕の初めて聴いたメランコリックな音楽のひとつで、年齢的にも少し混乱していた時期だったからちょっと過剰に反応したのかもしれない。その後は2000年代の多くのティーンエイジャーと同じようにアメリカのバンドをたくさん聴いて、Sum 41 や Green Day といったポップパンクに夢中になった。最近そうした古い CD を全部見つけ出して、よく車で聴いているんだ。ノスタルジックだけど作曲の素晴らしさには今でも驚かされるよ。
エレクトロニックミュージックに興味を抱いたきっかけと、 DJ として活動するまでの経緯を教えてください。初めて DJ ブースに立った時はやはり緊張しましたか?
エレクトロニックミュージックに初めて触れたのは、フレンチエレクトロやテクノといったあらゆるコンピレーションのフリーダウンロードをコンパイルした plamsoutsound というブログを介してだった。その後、Ministry of Sound のコンピレーションをきっかけにベースラインを聴き始めて、そこから自然とダブステップに繋がっていったんだ。エレクトロミュージックにはまってからは DJ ブースに立ちたくて必死だったと思うよ。幼い頃から人前での演奏には慣れていたから DJ でも緊張することはなかったけど、当初はひどい音楽をかけていただろうし、仲間のパーティの閑散としたフロアでプレイしていた。それが救いになったわけだけどね。
初めてトラックを作った際はどのような機材を使っていましたか?
最初は Logic で音楽制作を始めた。当時 Mount Kimbie と Burial がファウンドサウンドやノイズを楽器として取り入れていて、僕もかなり夢中になったよ。それ以来ほとんど全ての作業をラップトップでやっている。ハードウェアの機材を使って作曲するのは楽しいけど、進行を遅らせるものは避ける傾向にあるね。 Logic Synth や VST を使って指先ひとつで作業できる状況がコンピュータ上に整っていれば、アウトボードのギアをセットアップすることもあるよ。
過去の苦い経験や失敗で現在の活躍に繋がる足掛かりとなったものがあれば教えてください。
自分の DJ でフロアをしらけさせた経験は何度かあるし、それを言ったら Facta との共演でも数回あるけど (笑)。でも DJ を始めたばかりの頃は皆が楽しんでいるかに関係なく自分のお気に入りの曲を好きなようにプレイしたいものだし、そうした失敗は間違いなくいい経験になる。自分のためだけでなく、その場の雰囲気を読んで好きな曲や相応しい曲をプレイできるスウィートスポットを見いだすこと、それが DJ の技術だと今は思っている。
あらゆるパーティやイベントでの DJ 経験があると思いますが、最も印象に残っているパーティを教えてください。
一番記憶に残っているのは、間違いなく NY の Reconstrvct でのパーティだね。プロモーターの Luke がイギリスから自分と FactaRhythmic TheoryHodge、そして KemAL を NY へ誘ってくれたんだ。その頃はまだ数枚の EP しかリリースしていなかったから招待されて驚いたけど、Luke は自分がいいと思ったアーティストは知名度に関係なくプレイさせてくれる。彼は素晴らしいよ。 多くの人に支持されていることもあって彼はかなり自由にラインナップを組めたんだ。Reconstrvct はブルックリンにあるウェアハウスで、サウンドシステム Tsunami Sound Systemも最高。一緒に EP を作った LA のラッパー Ill Chill が僕のセットの後半でホストを務めてくれた。会場の雰囲気もすごく良くて、何をプレイしてもいいって感じだった。他のメンバーも最高のセットを披露していたよ。