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Kosuke Okahara



どのように写真を仕事にしていったのでしょうか?
当時の自分の知識としては、写真を持っていく先といえば雑誌なのかなという程度。展覧会や写真集のような発想も全くなかったです。だから、撮って出来上がったらとりあえず雑誌社に売り込みに行っていました。中には親切な編集者もいて、「写真を売り込むのであれば、こうやって持ってくると編集者が見やすいよ」とアドバイスをくれることもありました。そうして徐々に雑誌に写真が売れるようになり、そのお金を持ってまた撮りに行く、そんな活動を続けていました。
海外メディアへも自身で売り込みを?
当時は日本の業界のことでさえわかっていなかったので、海外の雑誌に自分の写真が掲載されるなんて夢のまた夢だと思っていました。でも、日本で活動を続けるうちに、海外での活動も不可能ではないとわかってきて、同時に、海外の写真家の作品にも興味を持ち始めました。僕の好きな作家が何人か所属している VU というエージェンシーがパリにあるのですが、そこはドキュメンタリーでもアートでもすごく作家性のある写真家を扱っている。そうしたところと契約すれば海外でも写真を売り込んでもらえるのではないかと、海外のエージェンシーへも作品を送るように。あと、 The Eddie Adams Workshop に参加できたこともきっかけに繋がりました。Eddie Adams はアメリカを代表する報道写真家の一人で、彼の実家である NY 郊外の農場で若手育成のためのワークショップが年に 1 回開催されている、それを NY で知り合った友人から聞いて応募したところ、100 名の枠に入り参加することができました。そこには第一線で活躍するプロのフォトグラファーの他に、『TIME』や『New York Times』『Vanity Fair』といった名だたる雑誌の編集者や美術館のキュレーターなどがボランティアで講師として参加していて、滞在中には参加者のポートフォリオをレビューしてくれます。その際に僕の写真を見てくれた『TIME』の Jay Colton から「雑誌の誌面は無理だけど、最近オンラインでフォトエッセイの掲載を始めたから、そこでよければ」と声を掛けてもらって。そして同時期に前述のパリのエージェンシーと契約できたこともあり、そこから徐々に海外でも作品を発表できるようになっていきました。