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Michael Raymond Russell / Drumetrics (1/2)




Michael Raymond Russell / Drumetrics
Interview (2022)
 




あなたのオリジンから伺っていきたいのですが、子供の頃から音楽やアートが身近だったのでしょうか。幼少期の環境を含め、自身のバックグラウンドを聞かせてください。
幼い頃は毎日のように絵を描いていた。 TV アニメを見て刺激を受けたり、従軍していた父に憧れて飛行機や戦艦なんかもよく描いたし、小学生になると漫画を集めて、好きなキャラクターを描いたりしていた。当時は『Wolverine』が一番のお気に入りだったね。大人になったらアーティストかアニメーターになろうと思っていて、15歳で初めて就いたのはショッピングモールやスポーツイベントで人々のカリカチュアを描く仕事だった。
 僕が若かった頃は母も家にいて、プエルトリコ人の仲間の家をよく訪ねていた。僕らの家にはプエルトリコの国旗がプリントされたマラカスがあちこちに置いてあって、子供だった僕はリズムに合わせてそれを振るのが好きだったんだ。そんな文化に囲まれて僕は育ち、クリスマスにはプエルトリコの伝統行事であるパランダ(Parranda)も毎年欠かさなかった。街中をドライブして、知り合いのプエルトリコ人の家の前にハンドパーカッションやコンガを持って突如現れ、スペイン語のクリスマスソングを歌う。すると彼らは家に招き入れて、そこで音楽を演奏したり一緒に踊ったり、食事もご馳走になる。その後はまた別のプエルトリコ人の家へと向かう、そんな音楽的な社交イベントだよ。
10代の頃や若い頃はどんなカルチャーや音楽に傾倒していましたか?
NY ブロンクス出身の兄の Kenny は1980年代のブレイクダンス・カルチャーと共に育った。彼は僕のロールモデルで、何をするにしても僕は Kenny の後をついてまわっていた。 Kenny の部屋に山ほどあったミックステープのひとつを、ある時、自宅のカセットテープでかけてみたんだ。すると、最初に聴こえてきたのがドラムブレイクで、「これこそ僕が求めていた音楽だ」とすごい衝撃を受けた。それまでは母が流す Tito Puente  や El Gran Combo De Puerto Rico のレコードを聴いて育ち、リズムとパーカッションに合わせて踊ることが全てだったからね。兄はよく BMG のカセットテープやレコードのカタログを送ってくれて、ある日届いたパンフレットには BMG のカセットテープがたった 1 セントで買えると書いてあった。そこで、母に頼んで、Black Sheep のシングル『The Choice Is YoursDigable PlanetsDas EFXLeaders Of The New School のシングル『Scenario』など、90年代初期の East Coast ヒップホップを大量に注文してもらったんだ。母にせがんだのはその時が初めてだよ。それから10代になると、アンダーグラウンドのヒップホップへの関心が深まっていった。母のレコードコレクションや兄たちのミックステープを通してヒップホップのサンプリングに使われるトラックの中でも特に優れた楽曲に馴染みのあった僕には、90年代前半のヒップホップが心に深く響いたんだよね。
あなたの感性や価値観の形成に影響を与えた人物や作品を教えてください。
真っ先に挙がるのは、やっぱり兄の Kenny だよ。彼は僕の親友でありメンターであり父でもある。また、Os Gemeos などのグラフィティ・アーティスト、DJ Shadow のようなビート・プロデューサー、Company FlowProject Blowed といった MC など、共通して生々しさを持つ彼らのようなアーティストを通してヒップホップ・カルチャーに触れ、多くのことを発見した。そしてそれが自分の個性を生み、徹底したスタイルを貫くための情熱的な原動力になったんだ。「Be A Character & Not A Caterer」(ケイターではなくキャラクターであれ)というのは僕の個人的な格言で、言い換えれば「自分だけの  “一貫したキャラクター”  を生みだす(音楽に対する)愛情を、変わらずに抱き続ける」ということ。うまく適応したり関係を築くために他人と同じことしかしない人とは真逆の姿勢だね。
音楽だけでなくグラフィックの制作も手がけていますが、グラフィックへの関心はどのように芽生えたのですか?
絵やスケッチよりも音楽に情熱を注ぐようになったけど、アートも諦めたくなかった。だからグラフィックに転向したんだ。
 Gonjasufi の 1st アルバムのアートワークをきっかけにあなたの名前を知ったのですが、この制作はどのような経緯で受けたのですか?
ブラザーである Sumach Valentine (Gonjasufi) は僕らと同じサンディエゴ出身でカリフォルニアのネイティヴ。Gonjasufi ともう一人の親友である William Benjamin Bensussen (The Gaslamp Killer) がこのプロジェクトを実現させてくれた。この不朽のアルバムは音楽からアートまで渾然一体となって作られたんだ。