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Ai(ハク。)




  Aiハク。)
Interview (2025)
 




まずはオリジンから伺っていきたいのですが、ご出身は大阪ですよね?
いえ、実は、生まれたのは栃木で、8歳の頃に家族で大阪へ引っ越してきて。でも、まあ、大阪育ちですね。
子どもの頃、音楽はどんなふうに身近にありましたか。
栃木にいる時、一緒に住んでいたお姉ちゃんみたいな人が中学で合唱部に入っていて、その合唱曲をよく歌ってくれたので、それを覚えて歌ったりしていたなっていう記憶があります。
ということは、音楽の原体験は  “聴くこと”  よりも  “歌うこと”  のほう?
そうですね。今思えばですけど、歌うことは身近にありましたね。
いつ頃から自分で好んで音楽を聴くように?
えっと、一番音楽を聴き始めたのは、やっぱり高校生の時かな。軽音部に入ったので、そこから部活のみんなと好きな音楽の話をするようになって、いろんな音楽を吸収するようになったかなと。
楽器を演奏したくて軽音部に?
演奏したい気持ちはありましたね。でも、その前に、中学で吹奏楽部だったんです。そこでパーカッションとかドラムとか、あとは小物楽器を演奏していたので、それを活かせたらいいなと思って。
当初は、音楽を  “聴く側”  というよりも  “歌う/演奏する側”  としての体験が大きかったんですね。
確かにそうですね。でも、中学の時も演奏するだけじゃなくて、やっぱりその楽曲を聴いたり、友達から好きなオーケストラや吹奏楽の曲を教えてもらって聴くこともたくさんありました。
高校生の頃、好んで聴いていたアーティストやジャンルは?
最初は邦楽から入って、詞が一番印象的だったのはサカナクション。それから海外の音楽も聴くようになって、インディーロックとか、あとはオルタナティヴやフォークロックを好んで聴くようになったなと思います。
やっぱりバンドサウンドが好きで?
もちろんバンドサウンドも好きなんですけど、弾き語りのアーティストさんも好きですね。あとは歌詞のないインストの楽曲とか、ヒップホップとかも。高校の時にバンドを始めてからはいろんな音楽を聴くようになって、浅く広くというか、いろんなジャンルの音楽を聴こうと思って。でも、「好みは?」って聞かれたら、オルタナティヴが一番聴きやすいジャンルではあったかな。
ちなみに今はどんな音楽を?
昔好きだった曲をよく聴いてみたりするし、あと最近は、君島大空さんの曲を聴いています。朝はバンドというよりは弾き語りだったり、音数の少ない静かな音楽で始めることが多いですね。
夜に向かうにつれて聴く音楽も変わっていく?
どうなんだろう。でも結局、夜も静かな音楽になって終わるかもしれない
ギターを弾くようになったのは軽音部に入ってから?
本格的に始めたのは軽音部に入ってからですけど、初めてアコースティックギターを持ったのは中学 3 年生の時で。受験勉強に疲れた時期に、家族でショッピングセンターから帰る道中に楽器を売っている人がいて……
楽器を売っている人 
ポップアップストアみたいな (笑)。そこにフラッと立ち寄った時に、「ちょっとギターやってみたいな」って話になって、たまたま少しお安く売っていたギターを買ってもらって。それで練習し始めたのが最初です。
ギターは最初が一番難しくて断念したって話もよく聞きますが。
難しかったですね。でも、難しいコードは無視して弾いていました。
過去のインタビューで、あいさんとまゆさんDr)、カノさんBa/ChoとなずなさんGtがそれぞれ同じ高校で、学外のバンドサークルで出会ったと読みました。最初に4人で音を合わせた時の感じは覚えていますか?
それまで、軽音部以外ではバンドで音を鳴らしたことがなくて。しかも、なずなとカノはほぼ初対面で、 3 人とはまだ友達と言えないような間柄だったので。だから初めて音を合わせた時も、音がどうこうってことよりも、「どうやって会話しよう……」っていう緊張のほうが大きくて(苦笑)



taken from @haku_circle 2019.11.19
  




ドキドキだったんですね。
私は結構人見知りなので、最初の感情としてはその緊張感が一番大きかったんですけど。そのあとすぐに、サークル主催の大会に出るためにオリジナル曲を作らなきゃいけない時期に入ったので、そこからは徐々に会話が生まれて。ただ、音を合わせた時は、結構未熟だったというか、荒さの目立つサウンドやったなっていうのをすごく覚えています。
“ただ一緒に演奏する”  という感覚と、 “バンドとして演奏する”  感覚の違いを意識した場面は?
同世代のバンドだったり、学校の先輩のバンドとか、周りにいろんなバンドがいたので、やっぱり彼らのライヴを観て気づいたかもしれない。音の厚みとかも含めて  “バンドでひとつ”  っていうか。当時は周りにギターロックのバンドがたくさんいて、演奏もまなざしも、言葉もすごくまっすぐで。そういうライヴを観てきたので、それがすごく刺さって。「なにか違うな」って気づいて、そこから少しずつ確信に変わっていくみたいな。
自分たちのバンドとしての音を感じたのは?
昔の曲で「無題」っていうのがあって、それを自分で書いて、バンドで合わせて歌った時に、なんか「これはハク。っぽいな」とか「しっくりくるなぁ」ってなった気がします。まっすぐすぎず、今のところ一番自然体でいられるというか、そういう感覚はありましたね。




無題
ハク。




「ハク。」というバンド名を付けたのはいつ頃?

もう、 4 人で組んですぐに。みんなそれぞれ好きな音楽がバラバラで、「どんな音楽性を目指しているのか」みたいなことも全然話さないまま組んだので、「何にでも染まれる色と言えば  “白ハク)”」ということで、サークルの先生に付けていただきました。カタカナはメンバーの希望なんですけど。
そこから今までずっと同じメンバーで変わらずに続いているってすごいですね。しかも、そのままメジャーデビューなんてことは……
全然想像していなかったですね。3、4 年目までは、こんなに続いていることのありがたさは実感していなかったんですけど、 7 年目の今になってやっと、その大切さに気づいたというか。
そんな流れのなかで「音楽を生業にしていこう」と決意した瞬間はありましたか。
マネージャーとは最初に出会った時から今もずっと一緒で。当時はまだ何もわからないまま、スペースシャワーという会社のレーベルに入れさせてもらって。その時に「しっかりしよう」って実感しようとしたけど、なんか難しくて。どうやって意識したらいいのか、何から始めたらいいのか、わからなかったというか。でも、ひとつひとつのライヴに向かうなかで、自分的に納得いかないこともすごくたくさんあって。そういう経験を積み重ねていくうちに「しっかりしなきゃ」って自然と意識するようになったんです。だから、具体的に「この瞬間で変わった」というよりは、私は徐々に気づいていったタイプだと思います。もしかしたらメンバーは、憧れだった場所でのライヴが決まった時とか、「ここ」っていうタイミングがあったのかもしれないですけど。