Thomas Subreville / Ill-Studio
Interview (2022)
幼い頃からアートやデザインに触れる機会が多かったのでしょうか。どのような環境で育ってきたのかなど、あなたのバックグラウンドを教えてください。母はスペイン人、父はフランス人で、僕は南フランスの小さな町に生まれて、地中海の文化に囲まれて育った。アートとは無縁だったし、カルチャーに触れることも難しい環境で、唯一の接点といえば雑誌くらい。そんな状況で今の自分に繋がる道を開いてくれたのはスケートボードだった。 6 歳か 7 歳の頃、 5 歳上の兄が音楽やスケートボードのことを話してくれるようになって、それを聞いた僕は「それが今、世界で起きていることなんだ!」と目の覚める思いだった。他とは違う自分なりのやり方を探る人たちの波が突如として押し寄せてきた感じで、そうしたコミュニティには幼かった当時から共感を抱いていたし、その感覚が僕を満たしてくれたんだよね。
そのコミュニティというのはスケートボードに限ったものではないのですか?そうだね。夢中になったものがスケートボードであれ音楽であれ、それがアンデンティティを確立する手段、違った形で自分を表現する手段だってことが重要で、その意識や考え方で繋がったコミュニティをとてもクールに感じていた。当然ながら今とは時代も違うし、特に僕が育った環境では、サッカーをやるか、テニスをやるかといった具合で、選択肢が限られていた。そうした中で僕らのような人間を繋いでいたのは、人生に対するヴィジョンであり、これまでとは違う新しい何かを求める探究心だったんだ。80年代や90年代には、そうやって多くの人が繋がっていたように感じる。
その要因のひとつに、この世代がインターネットを使わずに育った最後の世代だってことも挙げられるんじゃないかな。僕が初めてコンピュータを持ったのは25歳の時で、それ以前はコンピュータに触れたことすらなかった。インターネットが無い時代とある時代の両方を知り、両方に慣れていて、それぞれの良いところと悪いところを知っている、とても奇妙な世代だと思うよ。
具体的にあなたが若い頃に熱中していたアーティストやミュージシャンは?スケートボーダーやミュージシャンの名前を挙げだしたらキリがないし、一人を特定しても意味がないと思う。けど、全ての始まりはスケートボードで、そこから音楽にはまって、音楽がきっかけでファッションに興味を持ち、その後、徐々にアートにも関心が向いていった。というのも、僕が住んでいた小さな町にはギャラリーも美術館もなかったし、他の国では知らないけど、この国では芸術がすごく保守的なものに感じられた。スケートボードは自由だったし、音楽やファッションも自由だったけど、アートは美術館の中にあるもので、当時僕らが話題にするようなものではなかった。しばらく後になってから、写真を通してようやくアートの話が出てくるようになっていったんだ。
では、いわゆる “アート” ではなく、レコードのジャケットや T シャツのグラフィックなど、カルチャーの中にあるヴィジュアルで今も印象に残っているものは?いい質問だけど、ちょっとトリッキーだよね。素晴らしいレコードジャケットの多くは、意外と後になって気づくものだし、それは青春時代に夢中になった音楽とは違うものだったりする。例えば、先週日本で買った Vangelis の『Antarctica』のサウンドトラックのジャケットは気に入っているけど、若い頃に聴いていた音楽ではない。かたや、Wu-Tang Clanの 1st アルバムは個人的にすごく思い入れがある。音楽もそうだし、彼らの着こなしやスタイルにもすごく共感したけど、これが最高に素晴らしいアルバムジャケットだとは言えない。そういう意味で、この質問に答えるのは難しいかな。
スケートボードを通じて育まれた感覚は、あなたの審美性や創造性、もしくは現在の仕事にどのような影響を与えましたか?影響はもちろんあるよ。当時の僕にスケートボードは絶対的な情熱だったし、スケートボードがあったからこそ今に至っている。だからといって、それは “スケートボード・カルチャー” として声高に主張するものではないんだ。実際に今、このオフィスにスケートボードは 1 台もないし、ノスタルジーも感じない。もっと無意識的なものというか。例えば、街を歩いていて、スケートスポットになりそうな場所を見かけると「あ、ここは滑れそうだ」と脳内で小さなアラームが鳴る。もう15年間もスケートボードに触れていないのに、この感覚はずっと残っているんだ。それに、だいぶ後から気づいたことだけど、僕がミニマルなスカルプチャに惹かれる理由も、スケーティングできそうな建築物の形を想起させるからで、建築家で哲学者の Paul Virilio が説いた 「The Function of the Oblique
先ほど、インターネットを使わずに育った最後の世代だという話がありましたが、インターネットの登場から現在の SNS の台頭まで、メディアやツールの進化をどのように捉えてきましたか?僕らのような人間にとってインターネットはすごく優れたツールだよ。インターネットが普及する以前は、自らの才能を開花させることに困難を感じていた人は多い。そのためには特定のコミュニティに属していなければならなかったし、苦労も要したから。でも、インターネットが民主化されて以降は、自分の作品やヴィジョンの共有が容易になり、自由と独立性が与えられて、自分で道を切り開けるようになった。
そして、その進化はこの15年間でさらに良い方向へ進んでいる。2000年頃にはフォトグラファーもアーティストも、みんながウェブサイトを持つようになったけど、それは主に作品を披露する場であり、単なるプロジェクトと言える。でも、今では写真を撮れば瞬時にオンライン上に投稿できるし、誰もが自分のライフスタイルや個性を幅広く共有できるようになって、自由度はさらに増した。例えば、僕がフォトグラファーの作品を見るとしたら、彼らのウェブサイトではなく Instagram をチェックする。作品だけでなく彼らの美意識やテイストなども知ることができるから。プロジェクトの成果と同じくらい、そこに至るまでのプロセスやインスピレーションも重要だと思っているから、そんなふうに仕事以上のものをシェアして、人と繋がれるなんて素晴らしいよ。特に僕らの場合は、エキシビションからファッションや音楽まで幅広く手がけていることもあって、作品だけでなく全体の雰囲気や世界観をより重視する傾向にあるんだ。
インターネットを含めてテクノロジーは今後も進化し続けますが、それを踏まえ、今後のクリエイターに求められるものや、持つべきヴィジョンはどう変わっていくと思いますか?インターネットやテクノロジーは自らを表現するためのツールであって、そこには無限の可能性がある。でも、だからこそ、自分自身と自分のヴィジョンを育むことがこれまで以上に重要になると思う。だって、自分の真意は自身の心から発せられるものだし、自身の好奇心が始点になるのだから。安っぽく聞こえるかもしれないけれど、それを見極めるためにはオフラインになることも大切だよ。自分の足で外に出て、何が起きているかを見て、周りの世界を分析し、本やいろいろなものに目を通すべき。そして、インターネットで何かを探す以前に、何が自分を奮い立たせるのか、本当に欲しいものは何か、人生で何をなし得たいのか、それを自分だけの方法で探し、考え、決めること。僕の知る限り、本当に才能のある人たちは自分をよく理解していて、自分のやるべきことにとても長けている。その才能は自分の頭脳と実践から生まれるものであって、インターネットから得られるものでも育まれるものでもない。だから、インターネットは素晴らしいとはいえ、自分を表現できるツールのひとつにすぎないと思うよ。
あなたはデザインもファッションも全て独学だそうですが、だからこそ確立できた独自の視点や価値観を自身ではどう捉えていますか?確かに僕は独学で、それには良い面もあれば悪い面もある。でも、ここでは良い面だけに絞るよ。まず、専門的なことを学ばず、特別な学位や修士号を持たないことで、何を生業にしようかと思い巡らす時に、より自由に考えられると思うんだ。アートを勉強したら大抵はアーティストになるだろうし、写真を学べば写真家に、数学を学べば数学者になる確率が高い。でも逆に、何も勉強しなければ、全てのことが可能に思える。このことは、僕自身の進化においてとても重要な要素になった。そもそも僕は、クリエイティヴな世界であらゆることをやってみたかったんだ。そして実際に試してみると、うまくいくこともあれば、失敗もあった。
そうして経験を重ねるうちに、 7 年か 8 年ほど前から考え方が変わり始めた。僕は写真家やスタイリストといった専門家ではないし、僕らの仕事はヴィジュアルを作ることではないのだと。そこで、ある日、「ヴィジュアル制作で対価を得るのはもうやめよう」と決意して、スタジオの方向性を一新した。自分たちの持つヴィジョンや知識、経験、リサーチ、そして分析こそが僕らの仕事の価値であり、僕らがやるべきことは、それらを通して文化を参照したり繋いだりして意味を見いだし、ストーリーを作り、発展させて伝えていくこと。そしてそれは、写真や映像、本や建築物、椅子や服など、あらゆる形になる。けれど、ヴィジョンさえ一貫していれば、どんな形になろうと構わない。例えば、昨年、ノルウェーの企業やデザイナーと一緒に椅子をデザインしたけれど、そのコンセプトの背景には僕らが開発したストーリーがある。クリエイティヴ・コンサルティングも、ディレクションも、何を手がけるにしても同様で、ヴィジョンが常に一貫していれば何にだって適応することができる。独学で学んできたからこそ、こうした思考に辿り着けたんだ。だって、これは学校で学べることではない。写真やファッションなどの技術とは違って、インスピレーションや好奇心は教えてもらえないからね。とはいえ、結果が伴わないストーリーを語ったところで意味がない。だから、僕らは素晴らしい才能と技術を持つ多くのプロフェッショナルたちと仕事をしている。つまり、独学の僕らと専門家である彼ら、この 2 つの組み合わせが鍵と言える。この独自のマインドや手法を育みながらも、彼らと共に仕事をすることで、僕らの作るストーリーをいかに物質的な製品やヴィジュアルという形にしていくか、そこがとても重要なんだ。