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グラフィックデザインに興味を抱いたきっかけは何でしたか?
画集や雑誌に囲まれた環境で育ち、ドローイングに興味があったので、それが主なきっかけになったのかもしれません。僕が子供だった80年代後半には、大きな VHS カメラで実験的な映像を撮って編集していたことも。「目が見えない状況で水が落ちる様子を表現してみろ」と父に言われた時はかなり困惑しましたね。
16歳の時は、週に 2 回ほど客員学生として美術学校に通い、小道具やヌードのデッサンには 4 、 5 時間かけることもあった。でも、当時の僕にはデッサンも授業も、作品に関する談話も、全てが魅力的でした。
Comeniushaus Art & Design Academy (HBKsaar)
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Anna16, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons / Desaturated from original


Central Saint Martins College of Arts and Design King's Cross
Central Saint Martins
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Kh csm, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons


Rietveldacademie
Gerrit Rietveld Academie
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Amsterdam Municipal Department for the Preservation and Restoration of Historic Buildings and Sites (bMA), Attribution, via Wikimedia Commons / Desaturated from original

Linda van Deursen
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ドイツ出身であるのにアムステルダムの Gerrit Rietveld Academie へ進学した理由は何だったのですか?
ザールブリュッケンの Art & Design Academy (HBKsaar) で中等学位を取得した後は、海外へ行って勉強を続けたいと思っていました。安全圏から旅立つ時だったのです。当時はロンドンの Central Saint Martins がとても人気で、イギリスやアメリカの大学を見学して回りました。一方で、その頃インターンシップのために滞在していたデュッセルドルフで偶然の出会いがあり、それがきっかけで Rietveld Academie も訪ねてみることに。 Rietveld はイギリスの大学とは全く異なり、学生たちも気軽に話しかけてくれて、とてもオープンな雰囲気でした。Linda van Deursen などの講師と交わした最初の会話が強く印象に残って意欲が高まり、志願したところ、「これまでの勉強を一度全て忘れること」が条件でしたが、すぐに編入が叶いました。
その際の会話はどのような内容だったのですか?
最初は、ドイツの大学制度の学問慣習に別れを告げることができるのだと強く感じました。アムステルダムの大学へ行けば、突如として応用デザインの世界とは無関係になり、新たな世界が広がっていく、そんな印象を抱いたのです。僕らはそこで、自分たちの手法で自主的なプロジェクトを行なうだけでなく、自らのアプローチを主張し、一人あるいは誰かのためではなく、協力して取り組むよう強く励まされました。 

Serge Rompza (fourth from the left) at Gerrit Rietveld Academie, class of Jop van Bennekom
2001