| English | Japanese |
Joke Robaard
Website
Google results

Experimental Jetset
Website
Google results

Will Holder
Wikipedia
Google results

Linda van Deursen
Wikipedia
Website
Google results

Frans Oosterhof
Google results

Jop van Bennekom
Google results

Stuart Bertolotti-Bailey
Website (servinglibrary.org)
Wikipedia
Google results

Thomas Vinterberg
Wikipedia

Dogme 95
Wikipedia

Kees Maas
Website
Tumblr

 Rietveld ではどんな日々を過ごしましたか? また、感銘を受けた授業や教育理論があれば教えてください。
当時は学級制ではなかったので、さまざまな授業を受講しました。面白いことに、アーティストや理論家の他、ファッションなど専門外の分野から講師を招いたクラスもあり、Joke Robaard や Experimental Jetset、Will Holder、Linda van Deursen、Frans Oosterhof、Jop van Bennekom、Stuart Bailey (Dexter Sinister) などの授業が記憶にあります。授業で話されるのは  “中央ヨーロッパ”  英語だと冗談混じりに言われるほど生徒は世界各国から集まっていて、オランダ出身者は当時で 2 割程度だったと思います。クラスでは、フリーテーマでアプローチをしたり、自らプロジェクトを立案することがほとんどで、例えば、ヌーヴェルヴァーグの映画や Thomas Vinterberg による Dogma 95 のマニフェストを起点として、映画作家のメソッドを自分たちの分野に移行させ、そこでのルールを定義するなど。また「無(nothingness)」や「ロックスター」といったテーマを自由に解釈することも。メディアに関しても、その題材自体から距離を置くことができ、時にはそれを強く求められることもありました。また、近隣の法律事務所などを対象としたクライアントワークも可能で、その際も美大生としての自由を生かすことができました。当時の Rietveld では、理論に基づいたプロジェクトはやや軽視されていたかもしれません。以降この分野が発展していくのですが、その頃は「木曜日だけは理論的に」といった感じで、理論は単に毎週講義を受ける程度のものと捉えられていた。学年末には講師全員が僕ら生徒の作品を考察して進級を判断する中間プレゼンと評価があって、これはもちろんプレッシャーになります。対してドイツの美術大学では批評や評価はかなり控えているようで、それぞれの生徒自らが責任を負うという考えが主流です。今思うと、オランダのそうしたシステムのほうが理に叶っていたと思います。
 大学の図書館は僕のお気に入りの場所で、作業するにも美しい空間でした。スクリーン印刷技師の Kees Maas は当時からすでに大学内の伝説的人物で、設備の整った工房で僕らの印刷プロジェクトに付き合ってくれました。オフセット印刷機が大学に導入されたのは後になってからです。そして校舎。オープンスペースの雰囲気を念頭に、建築家の Gerrit Rietveld によって1960年代に計画された建物で、モジュール式の壁、サイズ変更可能な部屋、光が差し込む大きな窓、作業や交流に十分な空間など、空調設備を除けば今日でも素晴らしい建物です。



Rietveldacademie
Gerrit Rietveld Academie
Website
Wikipedia
Amsterdam Municipal Department for the Preservation and Restoration of Historic Buildings and Sites (bMA), Attribution, via Wikimedia Commons