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DJ Kensei



2000年頃からは日本でも野外パーティやレイヴが盛り上がりはじめ、 Kensei くんもさまざまな野外パーティに出演していて、特に「METAMORPHOSE 00」でのプレイはヒップホップの感触がありながらジャンルレスでフリーフォームという独特の世界で衝撃でした。この頃の DJ はどんなことを狙っていたのですか。
「METAMORPHOSE」の少し前あたりから野外パーティに徐々に誘われるようになって、自然の中という環境での DJ をすごく新鮮に感じていた時期ですね。それまではずっとクラブという夜の世界の限られた箱の中で  “ジャンル”  とか  “踊らせること”  にフォーカスしていたけど、当時の都会的な音をそのまま自然の中で鳴らしてもなんか自分的にハマらなくて、違和感みたいなものを感じたりしていたんだ。自然の中での機会が増えるにつれて「自然の環境に応じたフォーマットや世界観、サウンドはどういうものがいいのか」と考えるようになって、それまでの  “曲を選ぶ”  ということよりも  “環境と調和しながら自分のその世界をもっと広げていく”  みたいな表現を意識するようになってきて。森の中で聴いても馴染む音像、環境音が混ざりやすい質感や音数のレコードなんかを探すようになったり、圧があまり強くないものを選んだり、そういう音源のみで Mix を作るようになったり。  “何かを狙って”  というよりは、自然の環境で DJ をするようになったことをきっかけに選択肢が広がっていった感じで……、調和を求めていたのかもしれないですね。



SL9@ASIA
1999




この Mix (INDOPESOUNDS ’99 MIX) が「METAMORPHOSE 00」の DJ の雰囲気に近いような……。 。
野外で DJ をやるようになる以前から Indope をやる上で「自然の中で聴いたらどんな感じだろう」という感覚で作っていたものが結構あったから、その「METAMORPHOSE」では Indope しかかけていなかったかも。 BPM とかもあまり関係なく、何も決めずにその場の空気と感覚でエフェクティヴに時間を進めていった DJ は、あの時が初めてかもしれない。でも厳密に言うと、この Mix とは時代が近いから雰囲気と音は似ているけど、時間の進ませ方は結構違うのかも。この Mix あたりの音はなんとなく当時の  “エレクトロニックなもの以前と以降”  というひとつの境目なのかな。エレクトロはすでに80年代からあったけど、ラップトップのプラグインで音を作るという意味でそれまでになかった音像が出てきたんですね。
 当時はヨーロッパにもよく行っていて、あらゆる地域やジャンルから音源を掘っていた時期でもあって、同時代的なムードもある気がします。今でこそ普通にあるけど、その時はさまざまなジャンルからロービートというかダウンビートを見つけてきたりして、それをひとつの世界としてやっとできるようになっていったタイミングなのかな。 DJ をやってきて時代時代の音をプレイしているからそれぞれの音像を体感してきているけど、自分の中ではこの時代あたりから音像空間が明らかに変わったという感触がありました。アナログからデジタル感に。ただ、今のようなサウンドシステムや解像度の高いスピーカーではなくて、イメージした音が現場レベルで表現できていたかどうか……。
 あと、阪神淡路大震災や世紀末、2000年問題、 9.11 とか、世の中のさまざまな出来事やムードに対するメンタル的な部分も関係しているのかも。周波数? そういう意味では、20世紀末の頃は世の中のムードを表現するのに未だ見ぬ抽象的な世界、アブストラクトな表現や感覚にもフィールしていたと思う。