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Eike König / Hort





Eike König / Hort
Interview (2021)
 




1970年代のドイツで育ったそうですが、当時夢中になっていたことや、あなたの審美眼や価値観に影響を与えたカルチャーや人物を含めて、自身のバックグラウンドを教えてください。
1968年、ドイツ西部の Frankfurt am Main 近くの小さな町で生まれました。父は建築家で、当時は母が 2 人の妹を含め私たち子供の面倒を見てくれていました。最初の記憶は私が 3 歳の頃、父が小さな村にほぼ一人で家族の家を建てた時に遡ります。それが記憶として残っているのは、そのストーリーや写真が、未来を築く若い家族の冒険と幸福のロマンチックな物語を作り出していたからかもしれません。冷戦時代に育った私は、誰かがボタンを押そうとすれば15分以内に自分の人生が終わってしまうことを認識していて、それが感情的な性格に大きな影響を与えました。両親は 2 人とも社会主義者として政治活動に取り組んでいたので、平等、正義、連帯、自由といった基本的な価値観を持って成長しました。母がよく言っていた「何をやってもそれは自分に返ってくる」という言葉は、私の人生においてとても強烈な道筋となったのです。
グラフィックデザインへ関心を抱いた経緯を教えてください。
グラフィックデザインに初めて興味を抱いたのは、当時の軍拡競争や多くの大量破壊兵器を視覚化したインフォグラフィックを目にした時です。それは、この状況がどれほどひどいものか、また我々がいかに簡単にこの惑星を破壊できるのかを瞬時に理解できるものでした。強烈なまでに訴えかけてくるそうした小さなアイコンは誰が作ったのだろうかと興味を持ったのです。
 そして、そんな私にとって音楽は逃避場所であり、自分の思考にある暗闇に光を照らす手段でした。特定のグループに属する必要性は感じず、あらゆるジャンルの音楽を楽しんでいました。とても興味深いレコードコレクションを持つ年上のいとこを訪ねては、新しい音楽に耳を傾けたものです。当時、音楽を聴くということは、レコードを探し、手に取り、レコードプレイヤーにかけ、針を上げ、座ってスリーヴを見ながら音楽に浸る、そんな物理的な行為でした。私は早くからそれらの作品に魅了され、デザインの制作者に関心を抱きました。そうして、 Pink Floyd の壮大なアートワークをデザインした Hipgnosis (Storm Thorgerson) や、Blue Note のアートワークを手がけた Reid Miles の作品に触れることとなり、その後、8vo や Peter Saville、Vaughan Oliver などの作品も知るようになったのです。また、Le Corbusier の大ファンだった父の影響で、ユートピア集団 Archigram の作品にも興味があって、彼らのヴィジュアルだけでなくそのコンセプトにも魅力を感じました。
 さらに、私の成長に大きな影響を与えたものとして挙げられるのが体操です。 3 歳から16歳まで真剣に取り組んでいて、練習と大会のためにほとんどの時間を費やしました。上達するためにはどれほど激しい運動をしなければならないか、才能よりも意志が重要であること、規律や正確さ、集中力、バランス、緊張感、そして自暴自棄など、体操を通じて多くを学びました。けれど、同年代のティーンエイジャーが経験する多くのことを逃してしまい、結果的には高い代償を払うことになりましたね。
その時代を経たあなたが持つデザイナーとしての独自の視点とはどのようなものですか?
個人的には車が馬車に衝突したようなものです。Otl Aicher や Adrian Frutiger、Joseph Müller-Brockmann、Max Bill など過去の英雄たちを崇拝し、私が受けた教育といえば彼らから学ぶことでした。彼らの作品や活動は好きですし、バウハウスの流れを汲む自分の歴史も理解しています。でも、David Carson (Raygun Magazine) や Neville Brody (Face Magazine)、The Designers Republic など、私はもっと現代のグラフィックデザインに興味を持っていました。先生方からはそうしたデザイナーは歴史上関係がなく、すぐに消えてしまうだろうと言われましたが、私にとって彼らは未来への道標だったのです。過去から多くを学ぶことができるのは確かですが、物事が急速に変化していく中で私は過去に疑問を抱き、これまで教えられてきたことを打破する必要性を感じています。それを反抗的もしくは敵対的な行為とは捉えておらず、むしろ、自身の意見を持って、自分という人間と密接に結びついた姿勢を築くための行為だと思っています。とにかく、私が勉強を始めた時は、大学は革命を起こす場だと思っていたのですが、その考えは少し単純すぎたようですね。
あなたは大学在学中にテクノレーベル Logic Records でアートディレクターに就任し、Hort 創設以降も音楽関連の素晴らしいグラフィックを多く生み出しています。音楽など目には見えないものをデザインで表現する際に心がけていることは何ですか?
正直なところ、その答えは簡単ではありません。当時私が尊敬していたデザイナーの多くは特定のスタイルを確立していて、それが彼らの視覚的特徴にもなっていました。例えば、Hipgnosis は写真を用いて音楽に“顔”を与え、その作品はシュールでありながら美しく演出され、しかし驚くほどシンプルです。彼らはヴィジュアルを用いた素晴らしい語り手でした。Pink Floyd の『狂気 (The Dark Side of The Moon)』のスリーヴは、そのシンプルさと美しさで、グラフィック好きの人たちだけでなく、全世代の人々に感動を与え、アルバムや音楽のイメージにもなった素晴らしく壮大な作品です。また、 Reid Miles はレコードスリーヴだけでなく、レーベルのヴィジュアルアイデンティティや、さらにはジャンルのアイデンティティをも作り上げました。
 私が Logic Records のアートディレクターだった頃、テクノはまだ新しいジャンルで、視覚的な “顔” がありませんでした。そんな状況を活用して、私はひとつのスタイルにこだわらず、常に新しいヴィジュアルを探究することでデザイナーとしての自分を成長させ、より多くのことを学んでいったのです。時にはシンプルな写真でコンセプトを作り、また時には実験的なタイポグラフィを手がけ、コラージュやデジタルのラインイラストを作ってみたりと、私にとっては遊び場のようなものでした。確かに、私がデザインを手がけた音楽に別のレイヤーを追加するという発想は常にありましたが、聴衆は私と一緒に成長していたし、彼らはこの新たな音楽ジャンルを認識するヴィジュアルに過去のものは望んでいなかった。制約がないので自由度が高かったのです。では、私は何を求めているのか。すぐに忘れ去られる稲光のようになることなく、ただ「あなたからの注目」という名のとても小さなものを求めているのかもしれません。
自身のスタジオ Hort を構えて27年経ちますが、創設当初から変わらないポリシーやフィロソフィはありますか?
当時、私は26歳でした。まだ10代のような気分で、覚悟が定まっておらず、世間知らずでハングリーでしたが、理由なき反逆者でもありました。スタジオを始めた時、心に留めておくべき 8 つの重要事項を書き込みました。すごく単純なようですが、今でも時々このメモを見直して、必要に応じて調整や修正を加えています。この仕事を通じて多くのことを学びましたし、素晴らしい才能を持つ人たちと共に仕事をすることで、デザインに対する姿勢を形成することができたと思います。

その 8 つの重要事項を全て教えていただけますか?


1. 楽しもう
2. 稼ごう
3. 嫌なヤツとは仕事をするな
4. 挑戦的な仕事だけを受け、関係性を築こう
5. 人々の “ため” ではなく人々と “一緒に” 仕事をしよう
6. クライアントと自分自身に正直でいよう
7. 探求し続けよう
8. 楽しくなくなったらやめてしまおう

これらがスタジオ創設時に書いた私のルールです。「自分のやっていることを楽しむ」のほうが「楽しもう」よりも適しているかもしれませんね。

では、これまでの作品を振り返ってみて自身の変遷をどのように感じますか?
大学、特に先生方には、自分には何か関連性のある良いものをデザインする能力があるのかと、とても不安にさせられました。そのため、自分に自信を持ち、自分を後押しする声や心構えを身につけるための努力が必要でした。一方で、 Logic Records の人々は私を有意義でクリエイティヴな気分にさせてくれたのです。(私は 「クリエイティヴ」 という言葉が嫌いです。まるでクリエイティヴな人とそうでない人がいるように聞こえるからです。クリエイティヴィティとは単にヴィジュアルだけでなく、問題をいかに対処するかということ。ブランディング的な 「CREATIVITY」 は、より多くのお金を請求したり、気分を良くするための手段に過ぎません)
テクノロジーやメディアの発展によって生まれたもの、また、失われたものは何だと思いますか?
それは大きな質問ですね。特に社会的観点から答えると尚更です。テクノロジーは常に問題を解決してくれますし、だからこそ開発されたのですが、同時に、我々が突然対処しなければならない新たな問題を生み出します。私は手を使ってデザインする教育を受け、周りにはコンピュータなどなかったし、私が行なう仕事は他の多くの分野と繋がっていて、共に仕事をしなければなりませんでした。例えば、植字工、リトグラファー、写真家、ライター、印刷工などです。皆それぞれの分野の専門家であり、その仕事で豊かな生活を送っていました。けれどコンピュータはこれらの仕事の多くを消滅させました。確かに物事はより簡単に、より迅速になりましたが、振り返ってみると、このことが我々の収入を大きく減らし、また、テクノロジーが与えてくれた余剰時間をどう使えばいいのか理解もできていませんでした。我々は以前よりも少ない時間と金額でより多くの仕事をせねばならなくなり、それによって競争相手も増えてしまった。
 しかし、テクノロジーは新たなアイデアや可能性を生み出す原動力にもなっています。私はテクノロジーを愛していますが、同時にそれが我々に与える悪影響も認識しています。コンピュータを使って仕事を始めた時、私は一瞬で恋に落ちました。しかし、手作業によるデザインを学べたことも非常に幸運で、最近はその両方を組み合わせています。必要に応じてコンピュータを使い、異なるアウトプットを望む時には手作業を加えるのです。
時代背景や時代感覚によってグラフィックデザインに求められるものは変化しますが、いつの時代も変わることのないグラフィックデザインの魅力とは何だと思いますか?
グラフィックデザインはとても強力な視覚言語です。デザインは我々の日常生活に莫大な影響を与えます。我々は永続的にデザインと関わり合い、デザインは我々の習慣やニーズに影響を及ぼします。また、デザインは特にデジタル機器への依存性を生みかねないので責任も伴います。人々はそうした強力なツールや能力をコントロールするのが好きなのかもしれませんね。とはいえ、デザインはさほど儲からないので、お金のためではありません。でも正直なところ、グラフィックデザインは資本主義を推進するためのサービスに過ぎないと思います。
自身の解釈によるグラフィックデザインの定義を聞かせてください。
自分はグラフィックデザイナーだとガールフレンドへ伝えた時に、彼女は「じゃあ、あなたは見た目のいいパッケージを作るだけね」と言いましたが、そのとおりかもしれません。我々は自分や自身の “クリエイティヴィティ” を深刻に捉え過ぎているのでしょう。
デザイナーとしてターニングポイントとなった経験やプロジェクトを教えてください。
いくつかの大きな出来事とたくさんの小さな出来事が私とスタジオを形づくりました。そこからひとつを選ぶのは難しいですが、以前に見たものを求めることを避け、我々に信頼を寄せてくれる人と仕事をするたびに新たな扉が開かれます。例えば、バウハウス・デッサウ財団の元理事で、財団の新しいアイデンティティの開発を依頼してくれた Philipp Oswalt 氏や、2006年から LeBron James のプロジェクトを一緒に始めた Nike Portland の Michael Spoljaric 氏などです。そして、ネガティヴな場面もまた我々を成長させてくれます。
 Nike などのクライアントのために Hort が作る大胆なタイポグラフィは、インパクトだけでなく豊かなストーリー性も備えています。言葉の意味を伝達する以外に、タイポグラフィが担う役割はどのようなものだと思いますか?
タイポグラフィはグラフィックデザインの基盤です。タイポグラフィは画像や色彩といったレイヤーがなくても機能し、情報の純粋な容器としても機能します。書体の歴史を含めて実際の文脈に即することで、ストーリーを語ることもできます。また、フォーマットへの配置の仕方によって、その声のトーンを調整することもできます。大きな声か、シャイな声か、動的なのか、静的なのか、解体されたものか、混沌としたものか、グリッドで構成されたものか、直感的なものか、コンセプチュアルなものか。タイポグラフィを使ったデザインには実に多くの方法があります。だからこそ、今日のデザイン分野における真の英雄はタイプデザイナーなのかもしれません。彼らはまた、自分の作品のロイヤリティを得るための素晴らしい手段を最初に確立した人たちでもあります。
デザイナーとしてもアーティストとしても、あなたは長くタイポグラフィを扱っています。タイポグラフィの何があなたを魅了し続けるのでしょうか?
私はできる限り少ない情報と少ないレイヤーを使ってストーリーを伝えたいと思っています。私にとってシンプルさはコミュニケーションの鍵です。排除するのではなく包含したいのです。
 結局のところ我々はデザイナーに向けてデザインしているわけではありません。けれど、私が教育を通じて人々に伝えたいのは、新たな美学やデザインの背後にある情報を汲み取ること。コミック言語はそのいい例です。ページ上のストーリーの中にタイポグラフィがうまく配置されていると、とてもパワフルで、あらゆる人にとって理解しやすいものになります (文化や言語にもよりますが)
 芸術活動においては、あらゆる情報を表示するための中立的な容器として Helvetica を使用しています。他の書体を使うと、その書体独自のストーリーが入ってしまうので、それは避けるべきだと考えました。さらに、作品では自由に解釈してもらえることを心がけています。それぞれに個人的な思いを込めていますが、メッセージがそのとおり理解されることは重視していません。それよりも、人々が個人的にどう解釈するのか、その多様性に興味があるのです。
アート作品は全て手作業による創作のようですが、その理由は何でしょうか? デジタルのみでは表現できないものがあると思いますか?
コンピュータの前に座り、光るスクリーンを見るために感覚の一部を擦り減らすことにただ疲れてしまったのです。手を使って仕事をするよう教育を受けた私にとって、これは純粋な体験と言えます。私の創作には一定の時間がプログラムされていて、それを強行すると集中力や精度が失われます。そのため、創作に集中している時は無意識にも落ち着くのでしょう。長い間ハイスピードで仕事をしてきた自分にとって、これはホッとするような感覚で、少し難解に聞こえるかもしれませんが、自分と体が再び繋がっているように感じるのです。確かにテクノロジーもまた美学を定義しますし、それを改造したり壊したり変換することもできます。私は今でもアイデアのスケッチや考えの記録にデジタルを用いていますが、作品自体の創作では多くを手作業で行なっています。最近の絵はアナログレタリングと呼んでいて、 3D プログラムのようにキャンバスはワイヤーフレームで、残りは全てマッピングです。絵画の素振りのようなレイヤー、情報を含んだレイヤー、そして表面に輝きをもたらす別のレイヤー。キャンバスに描く内容は単なる投影であって、たやすく入れ替えることができます。だからこそタイポグラフィを手で描く際はできる限り完璧を目指します。とはいえ目にすれば手作業によるものだと認識できますし、そこにある小さなミスが私たち人間との繋がりを生み出すのだと感じています。
アーティストとしての自身の作品のアイデンティティはどういった部分にあると思いますか?
今この場でアーティストとしての自分を宣伝しましょうか? その専門知識は持っていますし……。私のインスタグラムをチェックすれば、アーティストである自分を伝えるために私が作ったアイデンティティをご覧いただけます。そこには一貫性があって、アート作品は私のブランディングの一部となっています。
アイデアの純粋さを失わないまま作品へと具現化するために、心がけていることは何ですか?
そこが大きな問題なのです。その正解がわからないので、疑心暗鬼になって批判的な視点で作品を見直すこともあります。最終的には自分のアイデアを乱すものを取り除くことが多いですね。それは色であったり、自分の文章の中の単語だったりすることもあります。
HfG オッフェンバッハ美術大学で教鞭を執っていますが、デザインを学ぶ者に伝えるべき最も重要なことは何だと思いますか?
自分の仕事が社会的影響を与えうるということ、そして、自分のアイデアやスキルを提供する相手は選べるのだということです。また、卒業後はライバルになるのだとしても、知識を共有し、協力し合い、お互いを思いやるよう呼びかけたいと思っています。
今後の予定と展望を教えてください。
現在、彼女と私は建築家と共に家を建てる計画をしています。趣きのある特別な家です。デザインは仕上がり、次は建築に着手する段階です。面白いことに、今ひとつの輪が閉じようとしている気がします。というのも、私が 3 歳の時に父が家族の家を建て、そして自分の息子が 3 歳を迎えた今私も家を建てようとしているのですから。
 それと同時に、アートの世界で独立した自分の居場所を見いだそうと、創作活動に取り組んでいます。今年の秋に 3 つの展覧会を開催したばかりで、来年 3 月にはニューヨークでも展覧会を開く予定です。この新たな道筋は原動力をもたらし、幸運にも本来の自分に立ち返らせてくれました。クライアントは問題解決のための開発にお金を出してはくれません。ただ、内なる対話を持つ自分だけが、時折それを物理的な形にして人々と共有する必要があるのです。それはとても開放的で充実したもので、私の魂と頭脳や体を結びつけてくれます。
 また、パンデミックのために 2 年近くベルリンから出ていないので、再び旅することを楽しみにしています。そして、私たちの子供が成長し、自立していく姿を見るのも楽しみです。