| English | Japanese |
Alexandra Kehayoglou
Cerro del Indio - Lanscapes of works
 
 


自身のこれまでの変遷を振り返り、ターニングポイントとなった作品やプロジェクトを教えてください。
 NGV で発表した『Santa Cruz River』のプロジェクトが転機となって、私の作品や実践は新たな段階に達しました。作品が個人的にも感情的にも影響を及ぼせないと捉えることはアーティストとして困難ですが、この作品が与えてくれた新たな視点は、過去に手がけてきた何よりも大きなものをもたらしてくれました。それは、スピリチュアリティに関することであり、アーティストとして何を貢献できるのかをしっかりと把握することにも関わっています。
 また、最近のプロジェクトにおける湿地帯の島での作業は、『Santa Cruz River』と同様に研究現場に数ヶ月も滞在できたとても貴重な機会でした。 COVID-19 が流行するとパートナーの Jose Huidobro と私は、ブラジル南部を源流とするパラナ川の湿地帯にある島のガーディアン (守護者) になりました。何十年にも渡って開発されたこの土地は、枯れた川や詰まった水路など荒廃しきっていて、自分が何者であるか忘れてしまったようでした。
 街の宿の閉塞感から抜け出した時、私たちは川沿いの島でまた別の孤立感に遭遇しました。刻々と変化するエデンの園で、私はその声とすぐに繋がりました。その声は、まるで語られていない物語を伝えようとするように悲しみに満ちていました。
 その新しい状況は、耐え難い喪失感を希望に変えるためのメッセージを読み解くことを学ぶ、一生に一度の機会だったことは確かです。孤立することで、私は自分のカーペットを新しい形のアクティヴィズムを実行できる空間として捉えるようになりました。それは、妄想的な対立に焦点を当てるものではなく、静かで、吸収性があり、より効果的だと私が思うタイプのアクティヴィズムです。こうして私のカーペットは、他では無関係だと見過ごされてきた土地の “マイナー” な側面を記録する道具になりました。エコロジカルな未来の可能性のために新たな扉を開くミクロの物語に焦点を当てています。
アーティストとしての進化や成長を自身ではどのように捉えていますか? また、スキルが向上したことで可能になったことはありますか?
今のこの情熱を私はずっと抱えてきました。この感情に関する最初の記憶は幼少期にまで遡ります。絵を描きたいという衝動、それがもたらす幸福感、そして、困難や激しい部分も。自分の作品が進化しているとは思っていませんが、あらゆる変化は見られます。
 プロとして活動を始めた当初は、自分の作品の意義を考えたり恐れたりしていました。今は自分の本当に作りたいものに自信を持てるようになり、作ったものが使われるかを重視しなくなりました。それによってアートとみなされなくなったとしても、今の私に重要なのは作ることであり、作ったものが帰結すること。それがアートと呼ばれようとなかろうと、私には大差のないことです。
 スキルについては、直線的なものではないと思っています。時間や練習を積んだ者だけが多くのことを知っているとも、そこに進化があるとも思いません。それに、技術やスキル、もしくは媒体が自分の作品を定義するとも思えません。それではあまりに退屈で、私にとっては死のようなものです。なぜなら、もしも全てを知り尽くしているならば、それは創造的に死んだと同じことですから。
 特定のスキルを持つ人は、それによってある特定の素材を扱いやすくなります。だからといって、自分が得意とすることに固執して楽をする必要はありません。私は技術を習得するという発想からあえて距離を置いています。
アーティストとしての活動を始めてから現在に至るまで、一貫して大切にしている理念はありますか?
アーティストでいることは挑戦です。私は大規模な作品を手がけているので、媒体それ自体だけでなく、大きさや重量も考慮しなければなりません。けれど最大の挑戦は、アーティストであること。それはつまり創作し続けることを意味するからです。困難な現実に直面せねばならず、それに反応して体が痛むことすらあります。
 私の作品には意図や祈りが込められています。アトリエでは作品に愛を込め、ポジティヴなエネルギーを持つことが大切です。風景を再現する時はそれを永遠のものにすることを目指しますが、カーペットやタペストリーにはさらに新たな意味が生じます。インタラクティヴな作品では、座ったり、立ち止まったり、寝転んだりして、土地に関係する別の視点を取り入れることができます。