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Kosuke Okahara
写真家として当初から現在に至るまで、変わらない姿勢やフィロソフィはありますか?
自分に対しても、被写体に対しても、写真に対しても、正直であろうと思っています。
「正直である」というのはつまり?
単純に「嘘をつかない」ということです。例えば、取材を続けていて誰かに撮影をお願いする際に「こういうことを言うと断られるかも」と思う場面があります。でも、断られてしまうとしても、自分が写真でやろうとしていることを相手にきちんと伝えなくてはならない。断られて何度もお願いすることはありますが、僕の写真は被写体がいて作ることのできる作品なので、相手に受け入れてもらわないと撮ることはできない。誤魔化そうと思えば誤魔化せてしまうのですが、そのまま続けていくとどこかで整合性が取れなくなり、矛盾が生じて、作品として弱いものになってしまう。それは被写体に対してだけでなく自分や写真に対しても同じで、自分の写真表現に対して常に真摯であるべきだと思っているし、それはそのまま作品のクオリティにも繋がるのだと思います。
撮る側に純粋さが求められるのですね。
とはいえ、邪魔はたくさんあるわけです。以前に一度だけ、自分が期待している絵を撮ろうとしているのではないかと気づいた時は、もう写真はやめてもいいかなと思いました。
それは何のプロジェクトですか?
12、13年間続けていたコロンビアでの麻薬関係の取材撮影です。2015年までは毎年のようにコロンビアへ撮影に行っていて、オンライン版『TIME』に初めて掲載された写真もこのプロジェクトのものです。僕にとって最も長く続いたプロジェクトですが、同じようなテーマで続けていると、そこで関わる人たちの性質や背景などもわかってきます。すると新しい街へ行って違うストーリーを撮影していても、次に起こることがなんとなく察知できて「こういう絵が見えるだろう」と想像してしまった。そうなった時に「これ以上は撮れない」とコロンビアを後にしました。それ以来コロンビアへは行けていません。その時の写真を後になって見てみると、やはり撮ったものがそのまま写っているというか、想像の範疇の写真でした。もちろんドキュメンタリーを撮る人の多くが「こういうストーリーを撮りたい」と思って臨むわけで、そうしたエディトリアル的なアプローチが悪いわけではありません。でも今の僕は、何も期待せずにいて、ただ淡々と記録する中で何かが見えてくるような、そうしたピュアなドキュメンタリーが理想です。