現在はモチーフを自身で作るようになり、それを撮影して、さらにその写真を油絵に落とし込むという手法を取っていますが、そうした工程を踏むことで作品に生まれる示唆や表現はどのようなものだと?
写真作品だと、それが絶対的な真実かのように表現されて、一方で、カメラを使わずに肉眼で捉えようとすると、今度はかなり主観的になる。カメラで撮ったものを描くというプロセスを取ることでアウトプットは克明になるのですが、一度作家を通して絵画として現れたものなので虚構性が含まれます。カメラを使っているので真実のような画面になるけど、やっぱり絵画なので空々しさも内在していて、キャンバスにあるものは果たしてあるのかないのか、虚実のレイヤーがより複雑になるというか……。
明確さを少し曖昧にしたい?
曖昧に、複雑に……。抽象と具象のこともそうですし、虚と実をより溶け合わせるようにしたい。
なるほど。実際の制作過程について伺います。創作に着手する際はまず何から始めますか。
まずはモチーフを作って、それを撮影するというのが最初の工程ですね。
実際に手を動かすことから始めるのですね。制作に入る前に考えを巡らすことは?
考えて思いつくこともあれば、触っているうちにできることもあるので、両方です。
あのモチーフの形はどのように生まれるのですか。頭の中にあるイメージに近づけていくのか、もしくは、もっと偶然性を期待しているのか。
モチーフによって異なります。素材それぞれに自由さと不自由さがあって、その兼ね合いも、備えている要素もさまざまなので。粘土の場合は、まず手を動かして偶然性を重視するというよりも、ある程度の計画性を持って接したほうが適しているように感じるし、最近使っているセロハンの場合は、カッターで切ったり絵の具を垂らしたりするのですが、そのプロセスの構成に即効性や偶然性を用いています。
それぞれの作品にはタイトルが付いていますが、それは創作の中で見いだすものですか。
作っている時はそういうことはあまり意識せずにやっているので、タイトルは後から付けます。