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Kosuke Okahara





写真がアート作品として認識されるには、どのような要素を要すると思いますか?
アート作品とみなされるための要素を言うのは難しいですね。著名な写真家の作品であればどんなジャンルであっても美術館に入るし、アート作品として取引されます。名前によって価値が付くことはあると思うし、アートの世界にはマーケットの思惑というか、作品の良し悪しだけではない投資としての面があると思うので。それに、今は価値観も多様化して、例えばインスタグラムだけで作品を発表し、何十万人というフォロワーを持つ写真家もいる。だから評価も基準もとても曖昧なように思います。僕が見て「いい写真だな」と直感的に思う作品であっても、大して評価されていないこともありますし。一概に言うことはできない世界だと思います。
岡原さんが考えるドキュメンタリー写真の定義とは何ですか?
ドキュメントはトラディショナルに言えば、自分の周りにある世界、もしくは自分の知らない世界を記録するということだと思うのですが、最近僕はいわゆるトラディショナルなドキュメンタリー写真とは離れていますし、同じことをやり続けたいという気持ちも薄くなってきているので、答えるのが難しいですね。
では今後、岡原さんが写真で扱う題材にも変化があるのでしょうか。
今は、その人そのものや、その人とのお互いの関係性の中にあるもの、自分が認識している世界の曖昧さなどに関心が向いています。
今一番撮りたいものは何ですか?
撮ろうと思っているものはあるのですが、コロナで全く進んでいません。先述の『blue affair』を作っている時に思ったのが、以前までは比較的企画書の書きやすいプロジェクトに取り組んでいたということ。でも、今やりたいと思っているのは、すごく曖昧で言葉にするのが難しい、そしてそれが実際にうまくいくのかもわからない、かなり偶然に頼るものだということです。ここ数年で写真を撮る行為そのものへの関心が深まったことは確かです。自分と自分が撮る人やものとの関わりがあり、その間で起こるかもしれない何かを捉えることに興味があります。それは有機的であり、偶発的なもので、実際に時間を過ごしてみないと何が撮れるのかもわかりません。でも、その何かにとても興味があります。