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Romina Malta
 


 同時に、別の経路から、より静かに、けれど確かなかたちで受けた影響もあります。特に雑誌は、さまざまな時期に発見と学びを与えてくれた存在でした。例えば『Eye Magazine』は、タイポグラフィの理解を大きく広げてくれた。文字を単なるテクニカルな手段としてではなく、雰囲気を生み、リズムを刻み、ページ上に緊張感を生みだす表現的な道具として捉えるようになりました。そのとき私は、エディトリアルデザインとは情報を整理するためのサポートに留まらず、意味が構築される場所であり、あらゆる形式的な選択が、読者の知覚や解釈、そして記憶のされ方を形づくるのだと気づきました。
 一方で、『Parachute』もまた、まったく異なる領域を開いてくれました。現代美術や文化理論との接点を通じて、より意外な角度からものごとを捉えることを促してくれたのです。デザインを、問題解決を目的とした職能的な実践としてだけでなく、文脈や言説のなかに位置づけられた文化的な営みとして考える。その可能性は、私の視野を広げる決定的なきっかけとなりました。視覚と理論を結びつけ、いかにも異なるように見える領域のあいだに橋を架けるという発想を通して、デザインは批評的思考の一形態としても機能しうるのだと理解するようになったのです。
過去のインタビューで、あなたがデザインの世界に入ったのは意図的なキャリア選択ではなく、状況によって導かれたのだと読みました。具体的にどのような経緯だったのでしょうか。そして、その原点は今の制作にどんな影響をもたらしていますか。
情熱や明確な意欲からデザインを始めたわけではなく、必要に迫られたことがきっかけでした。ある時、グラフィックの手伝いを頼まれ、その仕事で初めて報酬をもらったことが始まりです。当時の私は正式な教育を受けたことはなく、自分のやりたいこともはっきりしていなかった。パーティで DJ をしたり、出版社で校正の仕事をしたり、ノートパソコンをいじって時間を過ごしたり、そんな日々を送っていて。だけど、依頼されたアイデアを視覚化する作業が思いのほか楽しかったので、独学で少しずつ学び始めました。そうして次第に気づいたのは、デザインというのは、文章や構成、ドローイングといった自分の中にすでにある複数の言語をひとつにまとめ、形にするものだということ。それまで別々だと思っていた感覚や技術を結びつける場になったのです。
 この原点は、今の制作姿勢にも色濃く残っています。私はデザインを厳密な形式体系として捉えてはいないし、特定の分野に属そうともしません。むしろ、考えたり観察したり、課題を解いたり、問いを投げかけるためのツールとして使っています。それは、アイデアを  “定義する”  というよりも、  “整理”  するためのプロセス。もちろん完成したものを楽しむことはあるけど、始めた頃と同じく、結果そのものを重視しているわけではないのです。
詩、タイポグラフィ、エディトリアル、ヴィジュアルリサーチなど、あなたの背景にあるこれらの要素は、制作プロセスにおいてどう交わり、どのような流れで作品に結びついていくのですか。
私は複数のジャンルをまたいで活動していて、こうした領域は、制作を進めていくうちに自然と混ざり合っていきます。画像を見ているうちに文章を書きたくなることもあれば、書いた文章が視覚的な形に変わることもある。特定のメソッドはないけれど、自分には「観察する、削ぎ落とす、距離を取る、もう一度見る、どう続けるかを決める」というパターンがあるようです。
 フォーマットを切り替えることで、より明確に考えられるようになります。文章は構造を与えてくれて、グラフィックワークは説明を要することなくアイデアを試す場を与えてくれる。そしてタイポグラフィは、リズムや意図、そして最終的に作品を目にする人との距離感を調整する手段になります。タイポグラフィの選択ひとつで、人を引き込むことも、遠ざけることもできる。トーンを設定したり、解釈の余白を残したりすることもできます。それぞれのフォーマットは異なる役割を持っていますが、すべて同じプロセスの一部なのです。