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Tomoo Gokita





自身の作品に対して  “腑に落ちる”  というのは?
そういう説明は本当に難しくて、特に作品に関しては……。自分で納得できるというか、「これはうまくいったな」という感覚的なものでしかない。なんかね、ストンとした感じが出るまでが大変なんです。シンプルで  “頑張っていない感じ”  と言うのかな。描き始めは頑張っちゃって力んだりするんで、描き込みすぎたり力強すぎたりしちゃう。そこを抜けるまでが試練です。
「作品についての説明は難しい」ということでしたが、それぞれの個展に添えられた説明文のようなものを読むと「丁寧に汲み取って上手に言葉にしているな」と感心しますが。
あの手の原稿はギャラリー側が用意してくれるんですが、「うまいこと書いているな」と思うこともあれば、正直「それは考えすぎだよ」っていうのもある。でも、書く人は相手が俺だと本当に困ると思いますよ。なにしろ説明が少なすぎるから。だから「質問してくれれば答えます」って言うんだけど、例えば「この絵の女性はなぜ向こう側を見ているのですか?」と聞かれても、「別に意味はないです」としか答えようがない。そこに何か示唆が込められているなんてことは全くないんで。
最近で言うと、昨秋のミラノの個展の時は?
美術館での開催だったこともあって、先方のイタリア人とオンラインの打ち合わせがかなり多かった。そこでもまずコンセプトとかを聞かれるんですね。だけど、やっぱり俺は「コンセプトなんかない」と(苦笑)。「いつも即興的に描き始めているし、特にカラーになってからはコンセプトを考えて作品を作っていない」って。だからあの展示の作品もテーマなんてなくて、ただ単にその日その日に思ったことを描いて、スタイルも結構バラバラで。「なんか  “ごった煮”  みたいだな」ということから、展示会タイトルはイタリアでも意味の通じる  “ガンボスープ”  の「Gumbo」になったんです。
立体作品もありましたね。
あれは思い立って、自作の粘土と木の枝と段ボールなんかを使って小学生みたいな気持ちで作ったものです。個展に出す予定じゃなかった遊びで作った立体があって、それを見ていたらもう少し大きいものを作りたくなっちゃって。それで、材料は何も買わずに、ここにあるものとか外に落ちていたものを使って作りました。粘土を使いたいけど粘土だけ買うのも癪だなと、小学校の時に新聞紙で粘土を作ったのを思い出して、毎朝大量に新聞紙を持ってきて、それをちぎる作業から始めて。その間キャンバスは真っ白のままで、ミラノのキュレーターも「そんなことやっていて大丈夫なのか」ってちょっと心配していましたね(笑)
個展ごとに展示作品のサイズや点数の決まりはあるのですか?
ないですよ。そこがアートの面白いところで、デザインやイラストの仕事だとクライアントの要望とか規定が嫌ってほどあるじゃないですか。だけど、美術だとそこは自由ですね。もちろんスペースの制限はありますけど、あとは好きにやってくれって感じで、ギャラリー側からは何も言われない。極端な話、広いギャラリーの真っ白な壁に小さな作品が 1 点だけで「これが私の展覧会です」って言っちゃえばそれでいいわけです。実際にそういうアーティストもいるけど、俺はそこまで自信満々になれないから、なんかいっぱい描いちゃうんです。
個展が作品の集合体としてひとつの何かを作り上げているような?
結果的にはそうなりますけど、制作している時はそんなことは何も考えていないですね。僕の場合はコンセプトもテーマもなく、ただ 1 枚描いて終わり、また次の 1 枚を描いて終わりって感じで、ひとつひとつは全くの別物。だけど、まとめて見ると意外と統一感があったりするんですよ。
例えば、カラー作品になって以降「Gumbo」で 6 回目の個展となりますが、ひとつひとつの個展を段階的に見ていくと変化や進化を感じられるのですが……
いろいろ変わってはきましたけど、意識してやっているわけではないので、もう全てが成り行きでしかない(笑)。だけど、変化はしていきたい。もっと思いっきり変わりたいのに、そこまで変われないというか、そこまでの勇気がないのか……
 色合いに関しても、自分では斬新なつもりでも、高校生の時や20代の時に描いた古い絵を見ると、好きな色味はほとんど変わっていなくて、ちょっとショックだったりね。
 Man RayMarcel Duchamp とかと同じ時代の Francis Picabia っていう僕の好きな画家は「シャツを着替えるように作風を変えたい」と言っていて、実際に彼は時期によって別の作家みたいに全く違う作風になる。それがすごくかっこよくてね。僕にはそこまでできないでしょうけど、そういう希望はありますね。
完全なる素人目で恐縮ですが、作風の変化だけでなく技術的な面でも磨きが掛かってきているような……
自分で言うのもどうかと思いますけど、一応お勉強はしたので技術はあるほうですね。だけど、今はとにかく下手クソになりたくてしょうがない。身に付いてしまった技術を捨てて、もっと本能的に描きたい。確か Picasso が晩年に「この歳になってようやく自分が理想としていた子供のように描けるようになった」と言っていたけど、やっぱりそれぐらいにならないと無理なのかな。
昔はうまくなりたいと思っていたのですよね?
そこが矛盾というかね。若い時は頑張ってうまくなりたいじゃない。でも、ある程度うまくなったら、それはそれでつまらなくなるという、なんか変な話ですけど。音楽と一緒ですね。ギターソロは早弾きがいいとかって、いやいや、そんな技術がうまいだけってつまらないですよ。うまいだけの人はいっぱいいるから、やっぱり技術だけじゃない。センスが肝心なんですよね。でも、センスだけでも駄目で、技術がないとそれを表現できない。そこが難しいところですよね。
多くの展覧会を経験してきたことで、個展に向かう姿勢などに変化は?
変わらないですね。個展前はやっぱり嫌なもんです。僕はアシスタントがいないので、キャンバス貼るのが大変で。 1 枚や 2 枚だったら楽勝ですけど、個展ってなると10枚以上あるので、まずその段階で「面倒くさいな」って溜息です。でも、もう何十年もやっている作業だから達人の領域ですけどね。
あえてアシスタントは付けないのですか。
嫌なんですよね、僕は。アシスタントはいらないんです。兼ねてから大ファンの大竹伸朗さんもアシスタントがいなくて、以前彼と話した時に「アシスタントを抱えだしたらアーティストはおしまいだよ。偉そうにさ。自分でやれよって話だよね」と言っていて、俺も「ですよね!」って(笑)
 特に海外に行くと「アシスタントは何人いるの?」としょっちゅう聞かれて、「ノーアシスタント」って言うとマジで驚かれる。何十人もアシスタントを抱えたアーティストもいるし、それを悪いとは思わないけど、ああいうのは組織というか工場のようなシステムなので、僕には向いていないですね。
個展前の話に戻りますが、オープニングの直前は緊張するものですか?
いや、一番ピリピリしているのはやっぱり描いている時かな。絵が仕上がって、それを飾ってしまったら僕の役目は終わりで、その後は何を言われてもしょうがない。だから、オープニングではさほど緊張はしないです。
最も緊張感があるのは描いている時なのですね。
もう戦いですからね、ピリピリですよ。描きながら「違うでしょ」「それじゃないよ」とか「そうそう、そういう感じ」とかって、気づくと一人で喋っていることも結構ある。一歩間違えると多重人格というか。自分の中に「おまえ、マジでそれでいいわけ?」っていう厳しい奴が現れて、一方で「OK、OK、いいじゃん」っていう適当な奴もいる。煮詰まってくるにつれて厳しめの奴が強めに出てきたりして、そうなるともう「うわあぁ」ってなっちゃう。
完成の見極めについてはどうですか。
そこは人によって結構いろんな意見があるみたい。若い頃ってどうしても余計に頑張っちゃうんで、そこで完成にしておけばいいものを「ここにもう 1 本線を入れたらかっこよくなるんじゃないか」とかってやりすぎちゃう。でも、そうやって線を 1 本、点ひとつでもそうですけど、それを入れただけで絵が台無しになっちゃうんですよ。今はだいぶ  “やめ時”  がわかるようになって、絵のほうから「もう描くなよ」と言ってくれるというか。
 そうなったらタバコを吸いに外に出て、また「おまえ、マジでいいのか?」という自問の時間があって、それから中に戻って改めて絵をじっと見る。そこで「OK」となったら本当に終わりで、気分転換にチャリンコに乗って気分よく走るんです。多摩川の土手で一服しながら夕焼けを見て「きれいだなー」って。「今日はいい絵が描けたな。さ、帰ろ」なんて家に帰って、お風呂上がりに飲むビールがマジで最高(笑)。それがあるから続けられているけど、やっぱりそんな日ばかりじゃない。何週間も描けなくて、暗い気持ちのまま帰って「もう今日はシャワーでいいや」とかって嫌な酒もありますから。
没頭して描いている時と、描き終わって改めて見る時で、作品の見え方が変わることは?
それは毎回ありますね。だから、さっきも話したけど、ある程度いい感じになった時は、外に出て休憩して、今描いている絵の残像を消して、細かいことを忘れてから、改めて絵を見て確認する。さらに言うと、休憩くらいだと忘れきれないから、描き終えた後に帰宅して一回寝て、次の朝にアトリエに来て見る時が超楽しみ。「どんな感じだったっけ」って新鮮な気分でここの扉を開けて、絵を見て「おお! 大丈夫だな」って。でも「あれ、やっぱり駄目だ……」となる時もあって、そうなると朝から消したり捨てたり大変ですよ。
自身の作品に対する合格基準は厳しい?
前よりは厳しくなっていると思いますよ。10年前とかの絵を見ると「今の俺には描けねえな」と思うし、「よくこれで OK 出したな」ってものが多くて恥ずかしい。もちろんその中には嫌なものもあれば好きな絵もありますけどね。
 今だって、何度も見返して納得できたものだけを出しているのに、ギャラリーの白壁に飾られると「あれ?」となって、反省点が見えてきちゃったりする。いっそこのアトリエの壁を真っ白くしたらいいのかって考えることもあるけど、それで解決するわけじゃない気もするし……
これまでの作品の中から自身で最も納得のいった作品を挙げるなら?
結構気に入っているのは、さっきも話に出た、KAWS が買ってくれて Mary Boone と繋がるきっかけにもなったモノクロのペインティングですね。ATM Gallery のグループ展に 1 点だけ出展した大きめの作品で、「THE GREAT CIRCUS」でも展示しました。もっと描き込んでいたら訳がわからなくなっていたところを、抽象になる寸前ぐらいでやめておいた、俺の絵の中でもかなり抽象度が高い作品。あの時代の俺のピークのような絵で、未だにあれを超えられない。ミュージシャンの人からも「どうしてもあの曲を超えられないんだよね」って話をよく聞くし、そういう  “超えられない”  作品ってジャンルを問わずみんなにあるみたいですよ。