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Update: 9th April 2021

Interview with

Tomoyuki Kobayashi
PHINGERIN


 最初に PHINGERIN の事務所を訪ねた時、デザイナーの小林資幸は初めて作ったパジャマを地道に手売りしていたことや、大手セレクトショップへ飛び込み営業したことなど、ブランド創設当初の苦労話を笑いも交えて話してくれた。しかし、今回じっくり話を聞いてみると、そうした無鉄砲な経験は、単に定例を知らなかったことだけが理由ではないと気づかされた。揺るぎない信念があるからこそ、誰かのやり方をなぞらえるのではなく、今に至る道筋を独自で開拓してきたのだ。過去に発表したパジャマのボタンの付け直し対応をこの春から始めるという、その真意に触れるため、PHINGERIN の原点から現在までを辿ってもらった。
























 







Online Interview with Hiroyuki Ueyama, Feb. 12, 2021
 





まずは小林さんのバックグラウンドから伺いたいのですが、出身地である広島から東京へ移ったのはいつ頃ですか?
20歳の時です。高校卒業後に地元で就職して、その 2 年後の20歳の時に会社を辞めて、文化服装学院に入るために東京へ出てきました。
会社を辞めてまで文化服装学院に入られたということは、もともとファッションへの関心が高かったのですか?
そうですね。中学高校を通して洋服はずっと好きでした。高校を卒業してすぐに洋服の専門学校へ行きたかったけど、母親がもともとブティックをやっていたので「洋服を生業にするのは難しい。現実を知らなさすぎる」と猛反対されました。そこで、一度社会を見てみようと電気工事の会社に就職することに。そこではビルを作る部署に配属されて、照明デザインのようなことができたらなと思っていました。就職前はデザインという名の付くものであれば何でもできると思っていたけど、現実はそう甘くなかった。ただビルを作ると言ってもビルの面積はあまりに広大。そのうちの 1 フロアの照明をデザインするとしても、だだっ広い天井に照明をどう並べるか、地面から何cmのところに電源を配置するか、同時にそれに対する配線なども考える必要がある。それを何フロアも繰り返すなんて僕には途方もなく感じて、自分は天才じゃないんだって思い知らされました。すごくショックでしたが、そこで我に返ってみると、洋服をひとつの建築物として捉えるとビルよりも遥かに小さい。自分の視覚の範疇でデザインできるし、制作に要する時間もビルと比べれば格段に短い。ビルを作るよりも洋服という小さなものであれば凡庸な僕でも向き合えるのではないか。そんな漠然とした思いから「やっぱり洋服をやりたい」と母親に改めて説明したら、その時はある程度応援してくれましたね。
ファッション以外に音楽やアートなど、その後の小林さんに影響を与えたカルチャーを教えてください。
やっぱり音楽かな。パンクロックやニューウェイヴとか。年上の従兄弟がいろいろと教えてくれたので、小学 6 年生とか中 1 の頃には音楽を聴き始めて、そうしたシーンで見る服やスタイルがきっかけとなってファッションへの関心に繋がっていった感じです。
それらの影響が今のアイデアに反映されることはありますか?
いろいろあります。例えば今日着ている Worlds End は二次的、三次的な影響を受けている。

















古い雑誌を借りて、藤原ヒロシさんや高木完さんがやっていた TINNIE PUNX というヒップホップのユニットを知り、正直、 Sex Pistols が着ている SEDITIONARIES を見て直接的に興奮したことはないけれど、ヒロシさんや完さんが adidas のジャージにボンテージパンツをさらっと組み合わせている姿は子供ながらに衝撃を受けました。パンクならパンク、モードならモードと決まりきった格好よりもすごく自由でいいなって。それに、ただミックスして楽しむよりも、そこに自分の気持ちやシチュエーションに対するエッセンスを取り入れて洋服を選ぶ癖はその頃から徐々に付いてきたのだと思います。
PHINGERIN はパジャマからスタートしたブランドだと聞いていますが、ブランド創設の経緯を教えてもらえますか?
パジャマというアイテムに行き着く前の段階で、まず自分には「ブランドをやりたい」という強い思いがありました。世の中に無数にあるブランドは「本物のブランド」と「ブランドらしきもの」に大きく二分されると感じていて、僕は「本物のブランド」をやりたかった。そこでブランドとは何かと調べてみると、牧場の所有者が出荷する豚や牛に焼印を押していた行為に由来している。動物に焼印というのは好ましくありませんが、ルーツはそこにあって、自分たちが丹精を込めて育てたものだから品質への自信の証として焼印を施していた。その焼印が商標やマークへ発展して、今の洋服でいうとタグやロゴにあたる。つまり「本物のブランドをやりたい」ということは、お客さんに絶対に後悔させない自信を持って届けられるものを、きちんと自分と向き合って作ること。自信があるからこそロゴを付けるのだと。今でもその順番だけは絶対に間違えてはいけないって思っています。最初にロゴありきで、中身の洋服は意外と平凡だったり何かの真似だったり、そんなことはやりたくなかった。それは服の作りやクオリティの問題だけではなく、作り手の生き方やアイデンティティがそこに詰まっていればかっこいいと感じるし、それが本物のブランドだという意識があった。自分も中学の頃からその視点で服を選んできたし、自分でブランドをやるのであれば信念を持って焼印を押せるものを作りたいと。
それがパジャマだったのですか?
洋服にはジャケットやパンツ、靴、アクセサリーとあらゆる種類があって、ブランドとしてその全てを作ろうとすると前述のビルと同様に僕の限度を超えてしまうし、自分の目が行き届かなくなると全てが薄いものになって「ブランドらしきもの」になってしまう。自分の範疇でオリジナリティを反映できて、かつ、改善の余地があり、ひとつのアイテムで成立するもの。そうやって考えて辿り着いたのがパジャマだった。当時は体にフィットするオーダーメイドのスーツをかっこいいと思っていたけど、既製服でそれは難しかった。でもパジャマであればフィットしないほどゆとりができるし、アイテムに対する価値観が下がらない。それに、パジャマのデザインは昔からさほど改良されていない。そこで、着心地にこだわり、今の生活に合うディテールを採用して、自分がいいと思える生地や縫い方でパジャマを作ろうと。実は子供の頃にお腹の手術を受けた経験があって、20歳で上京する前にも 2 ヶ月ほど入院していたので、その実体験からのアイデアも活かせるだろうと。自分のあらゆる要素がうまく合わさるのがパジャマだったんです。





PHINGERIN
AW 20—21 PJ





パジャマを起点とするブランドは珍しいですよね。
ファッションにはモードやストリートなどいろいろなジャンルがあるけれど、その中でパジャマは孤立した「みにくいアヒルの子」の序盤みたいで、どこにも属せない感覚が自分にはしっくりきた。パジャマというとホームウェアブランドやライフスタイル系のブランドとして扱われがちだけど、それにも全く興味がなかったですね。僕はただパジャマというアイテムを作りたいだけだったから。逆に言うと、ブランドとしてパジャマ以外の物をどれだけ作ったとしても、パジャマだけは作り続けたい。パジャマの形やデザインがどうこうよりも、パジャマを作り続けることが PHINGERIN というブランド全体の焼印になると思っているから。
PHINGERIN のパジャマは通常の家着というイメージとは異なりますが、それは意図したことですか?
一般的にパジャマは上下セットで売っているけれど、PHINGERIN では「簡単に寝れると思うなよ」というメッセージで、上下で揃えるのが結構困難になる感じを目指していました。それにセパレートで売っていると、みんなそれぞれに好きなほうだけを買って外着として着てくれる。普通の服であれば外で着倒してボロくなると捨てられてしまうけれど、パジャマであれば見た目はボロでも最高の着心地のパジャマとして仕上がっていて、次は家で着てもらえる。その着地点がパジャマとしての本望ですよね。
サスティナブルにも繋がりますね。
今でこそサスティナブルという言葉はよく使われているけれど、僕がその言葉を初めて意識したのは高校 2 年の時。建築業をやっていた父親がそういう言葉をよく使っていて、その意味を話して聞かせてくれた。今思い返しても納得できる内容でよく覚えているし、当時からすごく大切にしていた言葉だった。声高に「サスティナブルです」って謳わなくても、ただ長く愛用してもらえるものを作ればそこに寄り添えると思っています。
ボタンを付け直すサービスを始めるそうですが、それも長く愛用してもらおうという目的で?
それもあります。「サービス」と言ってしまうと少し意味合いが違うのですが。ボタンが外れてしまうと付け直すのが面倒で、そのまま着なくなってしまうこともあると思う。だから、ボタンが外れてしまった PHINGERIN のパジャマを送っていただければ、僕がボタンを付け直して返送するということを始める予定です。
小林さん自身がボタンを付けるのですか?
そうですね。そんなに上手くはないけれど基本的には僕が対応して、手が回らない時だけスタッフに手伝ってもらいます。今後も継続していきたいので、対応できる範囲でやっていくつもりです。ボタンが外れやすかったかもしれないと心残りのシーズンがあって、それを謝りたいというか、きちんと対応しておきたくて。それに、僕が作ってきたパジャマがどれだけ着込まれているのかを実際に見てみたいという気持ちも大きいです。
パジャマを介したお客さんとのコミュニケーションになりますね。
そういう形になれば嬉しいですね。先を見据えて真新しいものを作ることも大切かもしれないけれど、自分が12年前から作り続けてきたものと改めて対峙してみたいんです。ボタンを付け直すという行為もその一環と言えます。 2 シーズンほど前からTシャツなどに採用している「Still Plowing For Futureless Future」という言葉があって、直訳すると「未来なき未来のためにまだ耕している」。歴史から学ぶということはアパレル業界でもよく言われているけど、ある先輩から教えてもらった「前にあるのが過去で、後ろにあるのが未来」というボリビアやコスタリカなど一部の先住民族に伝わる思想が僕にはすごくしっくりきた。そして、その思想に自分の生きていく姿を投影した時に、それは後ろ歩きだと気づいたんです。過去は自分の目の前にどんどん重なり続いて、見えない未来のほうへ後ろ向きに歩いている。耕すという意味の「Plowing」を付け加えたのは、体は過去に面しながらも足元をこつこつと耕しながら後ろ向きで未来へと進んでいく、そのイメージがブランドの概念や自分のものづくりのテーマと合致したから。過去の自分を顧みると見えてくるアイデアやディテールもあるし、これまでの経験があったから今がある。今後も長く続けていきたいからこそ、過去の事柄をきちんと今に繋げていきたい。そのためにも、自分の前に飛び石のように並ぶこれまでの作品ともう一度向き合って、自分のブランドについてじっくりと考えたいと思っています。








 
 これまでに数多くのパジャマを世に送り出してきた PHINGERIN だが、そのデザインはシャツ (NIGHT SHIRT) とパンツ (NIGHT PANTS)、ワンピース (SLEEPER) の 3 型だけと聞いて少し驚いた。しかし、着心地のよさを追求して選定したガーゼやフランネルの生地、そしてシーズン毎にシルクスクリーンされた総柄のオリジナルプリントが数種、さらに糸の原料や撚りからこだわり、チェックやストライプ柄を織りで表現したワッフル生地も加わる。各柄はそのシーズンにしか展開されないので、新旧問わずそれらを探し続けるコレクターも多いのではないかと思う。

 ボタンの付け直しは PHINGERIN のオンラインストアから申し込める予定で、外れたボタンを紛失していても対応してくれるという。インタビューにもあるように今後もコンスタントに続けていくため、ひと月毎に数を限定しての対応になるそうだ。






PHINGERIN SS 21
SLEEPER

Online Store
phingerin.com/shop-online


 




PHINGERIN / 小林資幸 Tomoyuki Kobayashi
文化服装学院卒業後の2009年に PHINGERIN を創設、ドレスシャツ生地を使用したシンプルなパジャマを原宿周辺で手売りすることから始動。ブランドのシグネチャーともいえるパジャマはマイナーなアップデートを重ねながら、創設当時から 1 シーズンも欠かさず作られ続けている。パジャマのパターンをパジャマ以外のウェアにも落とし込み、現在は「Still Plowing for Futureless Future」をキーワードに、ヘッドギアからフットウェアまでカジュアルウェア全般をリリース。 Hand made よりも繊細で配慮の行き届いた「Finger made in philosophy (= Phingerin)」であることにこだわったクオリティウェアとして、影響を受けたカルチャーや共有したいメッセージもデザインに取り込み、ディテールひとつひとつが気づきに繋がる仕掛けを各アイテムに落とし込むものづくりを心がけている。

phingerin.com
@phingerin









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