あなたの作品には一貫して、抑えた色彩やアナログな質感、ゆとりのある余白、静かなトーンが流れているように感じます。どういった感覚や意図が、その制御されたムードに込められているのでしょうか。技術的な観点から言えば、私はスペースを、読みやすさだけでなく、リズムやトーンの階層を整理するためのツールとして使っています。装飾のためだけの要素は置かず、すべての決断に意味があるような、形式的に制御された無駄のない構成に惹かれます。
限定された色使いやアナログな質感といった、私の作品によく見られる特徴は、必ずしも美的な追求から生まれたものではなく、むしろプロセスそのものから生まれたもの。たとえば、画面上で見えているものを実際に手に取って確かめるため、作品をプリントしてスキャンし直すことはよくあるし、触感を与えるために、意図的にテクスチャーを加えることもあります。
とはいえ、私はそもそも “過剰さ” には興味がありません。少ない要素で成り立つなら、それ以上なにかをわざわざ増やす必要なんてないのだから。私のロジックでは、スペースは能動的に作用します。要素と要素の間に空気を残すことで、圧迫感なく、より明確に見通し、意識を向けることができる。ここで言う「静けさ」は比喩ではなく、実用的な条件です。視覚的なノイズは私の集中を妨げ、不快にさせます。作品は、そこにあって、手に取れる状態であってほしい。でも、けっして押し付けがましくあってほしくないのです。
過去の取材で「 “未解決のままにしておくこと” を大切にしている」と語っていて、先ほども「未解決のままにある状態」に触れていました。そうした “未完成さ” や “ひらかれた状態” は、あなたにとってどのような意味を持つのでしょうか。私にとって “未完成さ” や “ひらかれた状態” とは、作品が閉じきらず、自己完結しない状態にすることを意味します。つまり、最初から意味を固定しないということ。私は、完全に解決されていない作品、ある程度構造的な曖昧さを保っている作品に惹かれます。「考えうること」や「感じうること」のすべてを言い尽くしてしまう作品にはしたくないんです。視覚的な構成が、 “語ること” よりも “示唆すること” によって、強さを持つこともある。すべてが定義されていないその余白のなかに、鑑賞者がよりパーソナルな体験をするためのスペースが生まれるのだと思います。
もちろん、それがクライアントワークや誰かのための仕事となると、状況は少し複雑になります。具体的な要望や目的がある場合、この “ひらかれた状態” が問題になることもあって、提出したものが、依頼主の期待と完全に一致しないこともある。そんなときは、作品を調整すべきか、より明確にするべきか、あるいはもっと直接的にするべきかを、自分で判断しなければならない。とはいえ、必ずしも譲歩するとはかぎりません。簡単には理解してもらえないとわかっていても、プロセスのなかで重要だと感じた選択は守りたいから。それに、相手との関係性やプロジェクトの文脈、自分がその作品にどれだけ感情的・概念的に関わっているかにもよります。決まったルールはありません。ただ、相手に合わせることで作品の強度が損なわれると感じたら、たとえ期待に応えられなくても、あるいはプロジェクト自体から離れることになっても、その “意見の相違” を受け入れるほうを選ぶと思います。