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Update: 17th July 2023



Welcome back to
FUJI ROCK,
GAN-BAN SQUARE!


Interview with Satoshi Toyomane






苗場の広大なフジロック会場内にある  “唯一のダンスフロア”、あるいは、“フジロック真夜中のサンクチュアリ”、毎年のようにフジロックを訪れては漠然とそんな印象を抱いていた「GAN-BAN SQUARE」。一方で、フジロックのオフィシャルグッズを一手に担う「GAN-BAN」と、ひと昔前に渋谷宇多川町の一角にあったレコードショップ「岩盤」。それぞれの存在を知りながらも、それらは同一の組織なのか、その系譜はどのようなものなのか、実際のところ詳細を全く知らずにいた。

そこで、今年4年振りに復活する「GAN-BAN SQUARE」への期待と共に、オリジンやこれまでの変遷、そして今年の見どころなど、GAN-BAN/岩盤を運営する有限会社ベースメント・ムーブメントの代表、豊間根聡氏に話を聞いた。








そもそものお話から伺いたいのですが、「GAN-BAN/岩盤」はフジロックのオフィシャルグッズのマーチャンダイズを担当する組織なのですか?
岩盤ができたのは2000年で、当初は純然たる輸入レコード屋として PARCO クアトロビルの地下 1 階にオープンしました。前年の1999年が苗場開催の初年でしたから、当時はフジロックの黎明期。そこで、「岩盤にはフジロックの宣伝とアーティストのセレクションの最前基地を担ってほしい」というのが日高(正博)さん (フジロックフェスティバル創始者) の考えでした。
 以前から彼は、海外で売れたものしか国内盤を出さない日本のレコード会社に対して不信感のようなものを抱いていて、そうしたレコード会社の意向は無視して、日本ではまだ紹介されていない素晴らしいアーティストを自分たちで見いだし、フジロックでいち早く披露したいという思いがあった。そのためには渋谷のど真ん中に店を構えて、国内盤の出ていないアーティストの輸入盤を先立って仕入れ、ストリートに向けて発信して、感触を確かめてからフジロックに呼ぶ、そういうサイクルを作ろうというアイデアだったんです。
さすがにユニークな発想ですね。
アイデアとしては革新的で僕も納得していたけれど、実際に蓋を開けてみると全くうまくいかなかった(苦笑)。というのも、当時は CD やレコードがすごく売れていた時代で、TOWER RECORDS や HMV というメガショップではロックなどの輸入盤を続々と仕入れていたし、かたや宇多川町ではダンスミュージックのレコード屋が数多く軒を並べていて、競争相手が五万といたわけです。レコードを掘る人たちのルートに入れないまま、どうにもならない時期が丸 1 年ほど続きました。そんな状況を哀れに思ったのか、「岩盤はフジロックの仲間であり、日高さんの仲間だ」と、フジロックのヘッドライナーを務めた象徴的な日本のバンド、BLANKEY JET CITYTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT のマネージメントの方々が応援の手を差し伸べてくれた。レコードや CD を大量に仕入れるメガショップよりも、ほんの数十枚しか仕入れない岩盤に豪華な特典を付けてくれたり、メンバーが直接店に来てくれたり。あと、当時は会場でしか買えなかったツアーグッズやアーティストグッズを岩盤にだけ特別に卸してくれた。だから昔から岩盤を知っている人にとっては当時、「BLANKEY JET CITY と THEE MICHELLE GUN ELEPHANT の T シャツを売っている店」という認識でしたね(笑)
そのことがグッズのマーチャンダイズに繋がっていったのですか?
そうした流れがありながらも、レコード屋として新たな音楽的ムーヴメントとの出会いがあったんです。ある時突然 NY から LCD SoundsystemRadio 4The RaptureScissor Sisters が出てきて、そして最大の起爆剤となったのは、明確にダンスミュージックとロックミュージックをマッシュアップするベルギー出身の 2manydjs。それらのシングルレコードの白盤が入ってきた時に大きな衝撃を受けて、以降そのシーンを追いかけ始めました。周りの尊敬すべきレコード屋、例えば CISCO はハウス館、テクノ館、レゲエ館とジャンルごとに専門店として細分化されていたけれど、そうした音楽は明確にジャンル分けできていなかったような状態でした。そこで、「じゃあ、岩盤ではこの音楽を店の一番先頭に持ってこよう」と、清水の舞台から飛び降りる思いでそうした白盤や 12 インチシングルを 100 枚単位で仕入れるように。すると、ひと月も立たずにレコードディガーたちの来店が増え、売り上げも輸入するレコードの数も急激に増えていきました。2002年には同ビルの 1 階の路面店フロアに移転し、シーンの盛り上がりを実感するようになったタイミングで、プロモーターである SMASH と組み、ブレイク前の海外アーティストを呼んで始めたイベントが「GAN-BAN NIGHT」です。回を重ねるごとに動員を増やし、最高潮に達したのが2008年に幕張メッセで開催した「GAN-BAN NIGHT SPECIAL」で、 1 万人を動員しました。
岩盤がプッシュしたその音楽はジャンルで言うと何にあたるのでしょうか?
シンプルに言えば、ロックのダイナミズムとダンスミュージックが融合した音楽。当時は「ディスコパンク」とか、みんないろいろと勝手に名付けていましたけど、最終的にはたぶん「エレクトロ」というジャンルで収まったんだと思いますが、正直僕もよくわからない(笑)

そこからどういう流れでフジロック内の「GAN-BAN SQUARE」の始動へと?
GAN-BAN SQUARE のコンセプト的なものは、フジロックを始める以前から日高さんの中では明確でした。GAN-BAN SQUARE のコンセプトの原点は「クラブエリア」。台風で中止を余儀なくされた1997年にはもうクラブエリアがあって、規模は小さかったけど、東京と大阪のクラブが数店舗出店して、お酒を出していた。つまり、ステージはなかったけど、いろいろなクラブが軒を連ねて美味しいお酒を出すスペースがクラブエリアだったんです。
クラブエリアの各店がそれなりの音をそれぞれに出していたのですか?
そうです。でも、あくまでも店のテント内の BGM 程度で、サウンドシステムを持ち込んでいる店はなかったんじゃないかな。恵比寿のMILK、西麻布の 3.2.8、青山 MIX とか、大阪からは KARMA など、出店数でいうと東京から 2 店舗、大阪から 2 店舗くらいだったかと。
そこに GAN-BAN SQUARE が加わったのですか?
いや、岩盤は2001年から出店しているのですが、クラブエリアの枠組みではなく、今でいう苗場食堂のあたりに西麻布の 3.2.8 と一緒にブースを構えていました。その初出店の年、勝手にサウンドシステムを持ち込んで DJ パーティをやったんですね。そうしたら僕らのブースの真向かいに、フジロックと親和性の高い RISING SUN ROCK FESTIVAL がブースを出して、先ほど話に出た BLANKEY JET CITY や THEE MICHELLE GUN ELEPHANT のマネージメントの方々がそこを運営していた。仲がいいので開催前にはお互いの内容が筒抜けで、彼らは上階に DJ ブースを設けた 2 階建てのブースを手作りして、僕らのブースと対面で音の出し合いになっちゃったんです(苦笑)

それはそれで楽しそうですけど、クラブエリアを上回るすごい状況ですね。
いや、終わった時に、日高さんにものすごく怒られました。「あそこはお前らがいつもいる渋谷のセンター街じゃねえんだ!」って怒鳴られたのを今でも覚えています。それを機に「認められている場所以外では外に向けて音を出してはいけない」という今に繋がるルールができました。そして僕ら岩盤はその翌年から現在の GAN-BAN SQUARE のある窪んだ僻地へと島流しをくらったわけです。音出しも一切禁止。それからさらに 2 年ほど経ってようやく日高さんが「そろそろいいだろう」と、クラブエリアを僕に任せることに。ただ、みんなが勝手にやってしまうと2001年のセンター街もどきの二の舞になってしまうから、ステージをひとつ設け、夜の時間帯はクラブの代表者が DJ をして、昼間は海外のアーティストのサイン会やアコースティックライヴを急遽始めました。夜中の DJ は Glastonbury Festival のサプライズステージから着想を得て、出演者の発表は一切せず、アーティストがいきなりそこに登場して、お客さんと触れ合う。当時は渋谷の岩盤の店も盛り上がっていたし、 GAN-BAN NIGHT の出演者が深夜の RED MARQUEE に出ていた時期。RED MARQUEE でのライヴが終わった後にアフターパーティという名目で GAN-BAN SQUARE で DJ をしてもらったり。2006年に電気グルーヴがグリーンステージに出演したのですが、パフォーマンス終了後の夜中に卓球さんが DJ をしてくれて、そのステージに瀧さんが乱入して。それが GAN-BAN SQUARE の始まりですね。






FUJI ROCK FESTIVAL ’09
GAN-BAN SQUARE

FUJI ROCK FESTIVAL ’10
GAN-BAN SQUARE
FUJI ROCK FESTIVAL ’12
GAN-BAN SQUARE
 

FUJI ROCK FESTIVAL ’15
GAN-BAN SQUARE






フジロックにおける  “クラブエリア”  というポジションにあって、これまでに至る GAN-BAN SQUAREの 最大の変化は何でしたか?
明確な変化は、2017年にオフィシャルステージになったこと。オフィシャルステージとして出演アーティストをしっかりと発表し、デコレーションも変えて、ステージに力を入れるようになった。






FUJI ROCK FESTIVAL ’17
GAN-BAN SQUARE
 
 
FUJI ROCK FESTIVAL ’18
GAN-BAN SQUARE


※2006年以降、石野卓球は GAN-BAN SQUARE に毎年連続出演。2019年は大雨により石野卓球の出演日が GAN-BAN SQUARE 初の中止となった。
※今年は昼間のイベントは行われず、夜間のイベントのみとなります。






ただ、2019年まで続けて、その後はコロナで中断せざるを得なくなってしまいました。
オフィシャルステージに格上げとなった理由は何だったのでしょう?
正直、僕は  “格上げ”  とは思えず、当初は半分いやだなと思っていたのですが、日高さんから「お前はいつまで遊んでいるんだ」と叱咤されました。
 フジロックの来場者(チケット購入者)の傾向が様変わりして来た時期で、動員数の変化はさほどなくても、 3 日券のお客さんが減り、 1 日券のお客さんが増えてきたんですね。
 フジロックの入場ゲートを入ると左手の崖の下に最初に見えるステージが GAN-BAN SQUARE なんです。逆に言うと、ゲートを通って帰るお客さんが最後に目にして、最後に耳に残る音が GAN-BAN SQUARE。だからお客さんが帰る時に GAN-BAN SQUARE が盛り上がっていれば、「 2 日券もしくは 3 日券を持っていたら、あそこで朝まで遊べたのに」と思わせることができる。つまり「 1 日券のお客さんの後ろ髪を引け! チケット販売に貢献しろ!」と、日高さんから明確にそのミッションが与えられたわけです。
 公表なしのサプライズステージだと、ある意味、評価から逃れられる部分がありましたが、オフィシャルステージとなった以上、もうそうはいかない。だから、出演アーティストをきちんと公表して、しっかりと評価と対峙する。そして、今年は 1 日券だったお客さんに来年は 2 日券や 3 日券を買ってもらえるよう、とにかく楽しいエリアにしようと意識するようになりましたね。
そうした意識的な変化を経た現在、いくつものステージがある中で GAN-BAN SQUARE の特徴やフィロソフィを挙げるとすれば何でしょうか?
明確な言葉で表すと「アンダーグラウンド」と「音楽文化の継承」です。日本は世代交代のできない社会と言われていますけど、ムーヴメントというのは世代交代ではなく、古いものを新しい人たちがきちんと継承して作り変えていかなければならない。オフィシャルステージになった時にはそのことを明確に意識しました。例えば、2017年には僕の盟友である SUGIURUMN と一緒に「古いものを今に持ってこよう」とアイデアを出し合って、最終的に「MADCHESTER & ACID HOUSE CLASSICS」というタイトルを付け、SUGIURUMN の SLOT のオフィシャルタイトルとして発表しました。古くていいものを継承するためには、やっぱり聴いてもらわないと伝わらないですから。





FUJI ROCK FESTIVAL ’17
GAN-BAN SQUARE


「アンダーグラウンド」と「音楽文化の継承」というコンセプトがある上で、毎年設けているテーマはありますか?
2017年以降はざっくりですがテーマや方向性を設けています。今年のテーマは「全世代」ですね。出演アーティストは20代から30、40、50、60代までバラバラで、最年長が60歳になられた菊池成孔さん。



Q/N/K: 火星 feat.Henny K

Profile: Q/N/K (QN+N/K a.k.a. 菊地成孔)
JAZZDOMMUNISTERS の N/K (a.k.a菊地成孔) と元 SIMI LAB の QN によるコラボレーション・ユニット。菊地はDC/PRG (21年に解散) の米国 Impulusse! レコードとの契約に際し、ラッパーとのコラボレーションを提案、レーベル側が候補に挙げた US オーヴァーグラウンダー勢を拒否し、当時まだ日本でも無名に近かった SIMILAB とのコラをを強行、「SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN」(2012) には SIMILAB とのコラボ曲が 2 曲収録された。以後、菊地は QN、OMSB とのコラボを続けていたが、アルバム単位の制作を目指すべく QN に打診、21年「Q/N/K」の結成に至る。QN のビートを菊地が採譜、編曲を施してバンドセットと、菊地が主催する「新音楽制作工房」のビートメイカー達によるビートセットとのバイウエイスタイル。
2023年夏、1stアルバム「21世紀の火星」をリリース。





それから、実は今年、ノイズというジャンルの音楽をきちんと継承すべく、中原昌也さんに出演いただきたかったのですが、中原さんがご病気になられて、お声がけできる状況ではなかった。そこで、今年から新しく参加してもらった若いブッキング担当者に「今一番やばいノイズバンドを」と話して、 ENDON が決まりました。ENDON と一緒にやる ROKAPENIS は中原さんの VJ も務めているので、彼らを通じて世代が継承されるという。とはいえ、さすがにそこまで深読みするお客さんは少ないと思いますが。
Profile: ENDON x rokapenis
東京を拠点とするエクストリーム・ノイズ・バンド。ハードコア・ブラックメタル・インダストリアルなど無数の意匠を飲み込んだサウンドにノイズが縦横無尽に暴れまくるスタイルが特色。米ツアーほか海外でも積極的にライヴを開催し、2014年に 1st フル・アルバム『Mama』を DAYMARE RECORDINGS / HYDRA HEAD より発表。2017年にリリースされた 2nd アルバム『THROUGH THE MIRROR』は CONVERGE の Kurt Ballou の手で GodCity Studio にて録音。2018年には EP『BOY MEETS GIRL』を Thrill Jockey / BLACK SMOKER RECORDS からリリース。轟美重音シリーズ・ライヴ〈leave them all behind〉や都市型フェス〈THE M/ALL〉や Chim↑Pom による〈ART is in The paARTy〉などに出演し、その活動は精力的かつ広範多岐にわたる。2020年 4 月26日に那倉悦生が34歳で急逝。翌年2021年には横田慎が脱退。2022年末に開催された〈AFTER THE RAIN〉では、残された3人体制によって新たなスタイルが提示された。
弊誌でも取材するアーティストの選定が最も妥協できず苦心するプロセスですが、出演アーティストのセレクトに困難はないですか?
難しいですね。ただ、以前は出演アーティストを発表しないから彼らのプロモーションに資することもできない状況だったので、お友達関係でしかできないところがありました。でも、オフィシャルステージになったことで、出演してくれるアーティストの宣伝や、その後の活動の展開にも繋がるため、そういう意味では出演依頼がしやすくなりました。もちろん新しい才能を探すのは簡単ではないですが、テーマや方向性と、「この枠にはこういうアーティストが欲しい」という部分をしっかり決めて、それに合ったアーティストを毎年見つけていくようにしています。ただ、全体のコンセプトは変わらないので、毎年出演していただくアーティストの方もいます。
 4 年振りの開催ですが、開催できなかった間の心境や発想の変化についてはいかがでしょうか?
今年はフジロックにとっても再出発の年で、極端に言うと、そうなった時に「GAN-BAN SQUARE は絶対になければならないステージではない」という判断が下る可能性は大いにあると思っていました。コンセプトが「アンダーグラウンド」なわけだから、優先順位が低いのは当たり前だし、僕はそこが好きでずっと続けてきたわけですけど、正直なところ、もうやめようかなと思ったこともあります。でも反面、あらゆる場面でアンダーグラウンドを分断する、切り捨てる方向に力学が働いているように感じます。だからこそ「フジロックぐらいはアンダーグラウンドを守る」「フジロックはやっぱりアンダーグラウンドもやるんだ」と思わせたい。石野卓球さんは GAN-BAN SQUARE を「フジロックの B 面」、そこに集まる人たちを「フジロックの遅番」と名付けてくれました。フジロックまでもが B 面や遅番を切り捨てたと思われるのが嫌で、「よし、やろう!」という気になりました。あとは、スポンサーの COCALERO さんのおかげです(笑)
会場外ではありますが、GAN-BAN SQUARE と同じくダンスフロアという印象の PALACE OF WONDER も今年復活ですね。
音楽のジャンルは PALACE とは明確に違います。 PALACE 側の意識はわかりませんが、僕としては PALACE のオーセンティックな音楽は意識的に GAN-BAN ではやらないようにしています。ただ、RED MARQUEE は位置的に近くて、あの OASIS エリアをぐるぐると遊ぶのがフジロック遅番の遊び方だと思うので、 RED MARQUEE とはある程度の親和性を保とうと考えています。




FUJI ROCK FESTIVAL ’23
Map




今年の GAN-BAN SQUARE の見どころ、注目すべきポイントを教えてください。

先日タイムテーブルが発表されましたが、今年は各日のオープニングとラストを対極的な設定にしました。 3 日間ともオープニングはライヴから始まります。初日は若きスーパーギタリストの Ichika Nito。日本ではまださほど有名ではないけれど、YouTube の登録者数が230万人を超える世界的に高い注目を集めるギタリストです。 2 日目のオープニングは GAN-BAN SQUARE を象徴するエレクトリックバンド、THE ALEXX。そして最終日は DYGL のヴォーカル(秋山)信樹くんがソロ名義でライヴをやってくれます。あえてトップに DJ ではないパフォーマンス形式を持ってきました。
その意図するところは?
やっぱり、最初からお客さんの心を掴みにかかりたい。あとは、 4 年ぶりの再始動なので、 GAN-BAN SQUARE も変わったと思わせたいし、驚かせたい。ある程度認知されているアーティストが GAN-BAN SQUARE だからこその、今までとは違うパフォーマンスをしてくれる。そこが今年の特徴のひとつになると思います。アンダーグラウンドのシーンはダンスミュージックだけに限ったものではないはずですから。とはいえ、各日のラストは純然たるベテランの DJ に任せます。ライヴから始まって中盤まではアーティストごとに転換もあるし、それぞれがそれなりにコンセプチュアルかもしれないけれど、GAN-BAN SQUARE のメインは深夜 3 時〜 5 時だと思うので、そこでは頭で考えずに、「気づいたら朝まで遊んでいた」となってもらえると嬉しいですね。







 
FUJI ROCK FESTIVAL ’23
GAN-BAN SQUARE
Video produced by Nigh Magazine
Video edit and Music by Kamikene

Line-up/Profile: www.fujirockfestival.com/artist/index#ganban






FUJI ROCK FESTIVAL ’23
開 催 日:2023年7月28日(金) 29日(土) 30日(日)
開 催 地:新潟県湯沢町苗場スキー場
主   催:SMASH Corporation
企画・制作:SMASH / HOT STUFF PROMOTION
www.fujirockfestival.com
@fujirock_jp


GAN-BAN Official Site
https://ganban.net
@ganban_fujirock







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