Takahiro Miyashita
Interview (2022)
出身は東京だそうですが、子供の頃はどのような環境で育ったのでしょうか?生まれたのは東京都区部ですが、特別変わった街で育ったわけではありません。ただ、銀座や上野といった街へ徒歩や自転車で行ける距離に住んでいたので、ファッションに触れ始めた時期は比較的早かったのかもしれません。
ファッションというものを意識し始めたのは何歳くらいでしたか?10歳の頃には洋服を自分で選ぶということはしていました。
当時はどんな基準で自分の着たい服を選んでいたか覚えていますか?最初のきっかけとしては兄や母親の影響があったかと思います。母は彼女の見たい映画や美術展に割と頻繁に僕を連れて行くような人で、普通の親子とは少し異なる間柄でした。一緒にデパートへ行くと、彼女は「あそこからここまでの中から自分のシャツを 2 枚選びなさい」と言って、子供の僕に選ばせる。それに対して僕は「なぜこの中からしか選べないのか」と思いながらも、「このメーカーのものがいい」という自分なりの基準がおのずとできていました。小学 6 年の頃にはもう一人で原宿あたりに服を見に行くようになっていましたね。
10代の頃はどんな服を好んで着ていましたか?近所だったアメ横は小さな頃から遊び場でしたし、そこで自然と洋服も見ていたので、アメリカの洋服というものが僕の入り口であり、それがずっと軸にあるのかと思います。中にはアメリカ製ではない服も紛れていたのでしょうが、僕はどこ製だとかはあまり気にしない性格で、意外とぱっと見で決めることが多かった。それは今も変わっていませんね。
NUMBER (N)INE を立ち上げる以前は NEPENTHES で企画バイヤーなどを経験したのですよね?15歳の時からあらゆる洋服屋でアルバイトをしていたので、19歳で NEPENTHES に入る頃にはスタイリストやこの業界の方とも多く知り合っていて、すでにだいぶ大人になっていました。最初のバイト先はウェスタン屋で、それから16歳で PROPELLER、18歳で BEAMS、その後は出版社でスタイリストの勉強をさせてもらって、そうした生活の合間には洋服を見るために 2 度ほどアメリカを旅していたりと、自分で割と真面目に学習していました。だから、NEPENTHES は僕にとって初めての就職先ではありますが、同時に、学習の仕上げをさせてもらった大学のようなものです。とはいえ、僕はいまだに勉強中ですが。
多くの洋服を扱う経験を重ねたうえで、自分で洋服を作ろうと決意に至った経緯は?NEPENTHES での経験がやはり大きいとは思います。アメリカじゅうのファッションデザイナーたちと出会う機会に恵まれ、彼らの作る服に触れる中で、「とてもいい洋服だけど、ここにポケットは無いほうが」とか「ボタンの位置はもう少し違うほうが」など、疑問を感じることが多かった。洋服に宿るそうした “癖” のようなものはデザイナーの個性なのでしょうけど、僕は「自分だったらこうする」という考えが溢れ出ていました。自分には本来そういう気質があるのでしょうね。そんな僕を見かねた NEPENTHES の社長が「じゃあ、何かやってみたら」とオリジナルの企画を任せてくれました。それ以前から別注ものの企画なども手がけていたので、自分で考えて作るということは、やって当たり前という感じで始まっていました。
では、独立に関しても意を決してというよりは自然な流れだったと?最も興味のあることであり、その時の自分にやれるだろうと思ったことがファッションだったというだけです。だから、始まりについてだけを言えば、ムキになって発起したわけではなかったですね。
その後、ムキになる経験は?始めてからはムキになってばかりです。自分の才能のなさや経験不足を思い知るというか、良いところなんてひとつもないですから、ムキになりますよね。そこはもう勉強して、努力し続ける他ないです。
ムキになる要因は自身にあるということですか?何かしらのターゲットがいて、その相手に勝ちたくてムキになるというよりも、自分に頭がくるんですよね。なんで自分にはこれくらいしかできないのだろうと。とはいえ、性格的に勝ち負けがないとやっていられない部分もあるので、「勝ちたい」という思いもあるのは確かです。
その “ターゲット” とは何を指しているのでしょうか?特定の人という場合もありますし、過去に生まれていた何かということも、また、歴史の場合もあります。毎日のように「今ここで何かを変えておかないと」と考えているので、焦る気持ち、はやる気持ちからは常に逃れられないでいます。
2009年に NUMBER (N)INE を解散していますが、解散に至った主な理由は何だったのでしょうか?あれはバンドでしたから、あのバンドでやるべきことは全てやったんじゃないですかね。僕の望んだ形ではなくなってしまうほど肥大しましたし、もはや何でも作れるような環境になっていました。何を作っても合格点が付けられる状況で、実際にいい内容のものもあったのでしょうけど、自分で納得できるようなものは特別なかったかと思います。辞める理由がわからないという人も多かったですし、むしろ永遠に続けることもできたのでしょうが、僕自身はその数年前から辞めたくて、ただただしんどかった。だから、あの名前でやるべきことはやりきった、それだけです。
では、解散する時点で、次に新たなブランドを始めたいという思いはあったのですか?ありませんでした。当時の僕は写真をやったり家具を作ったり、バンドも一生懸命やっていましたし、ブランドを始めることは考えていなかった。でも不思議なもので、少し前まではファッションのせいですごく嫌な感じに捕らわれていたにもかかわらず、一旦辞めたことで、やっぱりファッションが一番好きなのだと痛感しました。単的に言ってしまえば、 TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.