Manabu Deto / OGRE YOU ASSHOLE
Interview (2022)
現在は長野を拠点にしていますが、出身も長野ですか?出身は富山です。長野に引っ越してきたのは小学 5 年生の時で、大学で名古屋の美大へ行って、卒業後にまた長野に戻ってきました。
子供の頃はどんな環境でしたか?富山にいた頃は母親が衣服製造の町工場を営んでいて、家はその工場とすぐ隣り合わせ。学校から帰ると工場で働く 7 、 8 人のおばちゃんたちに迎えられていました。田舎の国道沿いで、住宅と田んぼが並んでいるといった環境でしたね。
小さな頃の思い出で記憶に残っているものは?小 5 で長野に引っ越してきた時に環境も友達も全てが変わったことですかね。自分では普通だと思っていた喋り方や振る舞いが、みんなから変だと指摘される状況で。もともと話していた富山弁を長野へ来た途端に周りから「喋り方がおかしい」と言われたりして。そこで初めて「どう喋ればいいのだろう」と考えるようになったりと、それまではただボーッと生きてこられたのに、いちいち自分の言動を客観視して修正しないといけなくなったのは面倒臭かった記憶があります。でも、それでようやく自我が芽生え始めたという感じがしています。
音楽への関心はいつ頃から芽生えたのですか?小さい頃から父親が酔っぱらうと爆音で音楽を聴く会を開いていて、そこで60年代〜80年代の洋楽を聴かされていました。父親は趣味でバンドをやっていたので、素人親父コピーバンドを見る機会もありました。親父のバンドの編成と選曲は今思うと少し変で、リズムマシンに合わせてギターとマンドリンとバイオリン、サックスとキーボードで、アイルランドの民謡や (Johannes) Brahms のハンガリー舞曲などを演奏していたと思います。それをホームパーティのような場で大人たちが聴いて喜んでいる、そんな光景を目の当たりにしながら小学生くらいの頃に「サックスってかっこいいなー」とかいった感じで関心を持ち始めた気がします。
その原体験は面白いですね。自分の好みの音楽を意識し始めたのは?中学生か高校生くらいですかね。軽音楽部に入っていたけど、当時通っていた高校にはヴィジュアル系かメロコアを好きな人が多くて、そこにはあまり馴染めず、バイト先の先輩や CD ショップの店長や兄の大学の友達など、学校以外の場所でいろんな音楽を教えてもらいました。 US のインディーズの音楽やクラブミュージックや、ジャズをそういったところでおすすめされて、その中から当時よく聴くようになったのがアメリカのインディーロックでした。
当時よく聴いていた楽曲や影響を受けたアーティストは?US インディーズだと Modest Mouse や Yo La Tengo、あと Thinking Fellers Union Local 282 とか。たまたま地元
自身で楽器を始めたのはいつ頃ですか?ギターは中学に入った頃に始めました。ベースやドラムを持っている友達が近所に住んでいたので、一緒に鳴らしてバンドの真似事をしていた気がします。
音楽以外で当時夢中になっていたことはありますか?美大に入りたかったので、高校時代は石膏デッサンや粘土で塑造なんかもやっていました。
OGRE YOU ASSHOLEこの名前を付けたのは高 3 か予備校に通っていた頃だったかと。当時は 3 人編成で、僕以外は今とは違うメンバー。オリジナル曲をやっていましたが、結構めちゃくちゃだったと思います。大学に入って今のギタリストの馬渕(以降 OGRE) を結成したのは?
メジャーデビューは意識していたのですか?デビューは全く考えていませんでした。大学 1 年か 2 年の頃、ライヴハウスでライヴをしていたら「CD を出さないか」と声をかけられて、何の疑いも持たずにそのまま……。
自身で振り返って、これまでの変遷をどう捉えることができますか?20年前に比べると、心も体も年老いたなと思います。
バンドとしてのターニングポイントを挙げるとしたらいかがでしょうか?『homely』