Frank Bretschneider
Interview (2023)
まずはオリジンから伺いたいのですが、幼少期からアートや音楽に触れる機会に恵まれていたのか、どのような環境やコミュニティで育ったのかなど、あなたのバックグラウンドを聞かせてください。私は労働者階級の家庭の出身です。私が生まれた頃、父は鉱夫としてザクセンのエルツ山地でウラン採掘に従事していて、母は同じ会社の地質部門に勤めていましたが、その後、父は勉強をして鉱山組合で役員となってキャリアを重ねました。彼は芸術や文学にも高い関心があり、小説はもちろん、百科事典や美術書など、多くの蔵書を持っていました。例えば、Paul Klee や Wassily Kandinsky の絵画の挿絵を初めて目にした Bauhaus 関連の書籍、また、Mies van der Rohe や Walter Gropius の建築関連のものです。
私は、人々が未来に向けて希望を抱いていた、宇宙と原子の時代の幕開けに育ち、近代的で明るく親しみやすい地域で、幸せな子供時代を過ごしました。
あなたの育った1980年代の旧東ドイツは、時代背景も状況も現在とは大きく異なると思います。その時代の中で、あなたの審美性や感性の形成に影響を与えた人物や作品を教えてください。80年代に私が音楽制作を始めた頃は、表現主義、ダダイズム、シュールレアリスム、そしてアヴァンギャルドといった20世紀のヨーロッパ現代美術に影響を受けていました。その一方で、ブルースやジャズ、ロック、ヒップホップ、ニューウェイブ、エレクトロニカといったポピュラーミュージックを聴いて育ち、また同時に、幼い頃から冒険的な音楽や電子音も好きでした。だから、あらゆる音楽を無分別に聴いていたんです。Frank Zappa、Ornette Coleman、African Head Charge、The Doors、Mahavishnu Orchestra、Bela Bartók、Jimi Hendrix、Miles Davis、Can、Eric Satie、Sun Ra、Soft Machine、The Residents、Brian Eno、 Krzysztof Penderecki、Beastie Boys、Weather Report、Terry Riley、Amon Düül II、Laurie Anderson、Johann S. Bach、Larry Youngなど、挙げればキリがないほど。
また、文学からも多大な影響を受けました。私は熱心な読書家で、特にあらゆる幻想文学を読んできました。いくつか挙げると、Ray Bradbury、Franz Kafka、Edgar A. Poe、James G. Ballard、Jorge L. Borges、Stanisław Lem、Christian Morgenstern、Arkady and Boris Strugatsky、Cordwainer Smithなどです。
1990年にはドイツ東西が統一され、その数年後にはインターネット黎明期を迎えました。そうした時代の変革を受けてあなたにも多くの変化が訪れたと思いますが、現在の活動へと繋がる最大の変化は何でしたか?一番大きな変化は、1996年にグラフィックデザイナーという安定した仕事を辞めて、音楽制作に専念する決断をしたことです。
AG Geige としてのバンド活動やレーベルの設立など、音楽家として幅広い経験をお持ちですが、音楽制作を通じて当初から一貫して追求していることは何か。また、音楽を作り続ける動機となっているものは何でしょうか?ひとつかみの音を汲んで、それらがどのように編成され、動き、各々の居場所を見つけるのかを理解することは、ゲームみたいでとても楽しいのです。また、ある時点で音そのものが自動的にある方向へ向かうこともあります。だから、私は音
多くの経験を重ねてきた中で、ターニングポイントとなったプロジェクトや出会いを教えてください。転機のひとつとなったのは、1999年に Mille Plateaux からアルバムのレコーディングに誘われたこと。当時、Mille Plateauxはエレクトロニックミュージックにおいて影響力のあるレーベルで、世界的にも評判が高く、特に Glitch や独自の Clicks&Cuts というジャンルで知られていました。レーベルのボス Achim Szepanski が、『20’ To 2000』シリーズに収録された私のコントリビューションを聴いて電話をくれたのです。このレーベルのために制作した 3 枚のアルバムによって、ヨーロッパ以外の地域で特に広く名前が知られるようになりました。