いつ頃から絵を描くことに関心を持ち始めたのですか?
母が言うには、僕が 2 歳の頃には1992年のバルセロナ・オリンピックのマスコット Coby を描き始めたらしい。その後、クラシック音楽を習ったけど、10代になると僕の関心の矛先は漫画へと移り変わったんだ。
アートだけに限らず、あなたの審美眼や嗜好の形成に影響を与えた人物や作品を教えてください。
谷崎潤一郎の随筆『陰影礼賛』には強い影響を受けた。21歳の時に恩師からプレゼントされたこのエッセイを通して、芸術における神秘と詩情の価値を確信することができた。何かを露骨に示すよりも仄めかすほうが、鑑賞者が作品と深く関わり、より強い絆を築くことができる。そして結果として見る人に強い印象を残せるんだ。
10年ほど前のインタビューを読むと、当時は昼間にグラフィックデザイナーとして働き、帰宅後の夜間にイラストレーションに取り組んでいたそうですね。その後、ファッションイラストレーションの分野で瞬く間に成功を収めましたが、そうした劇的な変化をどう捉えていましたか?
正直なところ、どうしてそうなったのかはいまだに僕にもわからない。自分の才能が生業になるなんて想像もしていなかったし、今でもそれを当然のことだと思わないようにしている。当時は本業への不満が溜まっていて、そのエネルギーを副業のイラストレーションに注いでいたら、ほどなくして軌道に乗ることができた。それが全ての成り行きで、皮肉だけど、腹いせが素晴らしい結果に結びつくこともあるんだね。
初めてあなたの作品を目にしたのは Gucci のキャンペーンで、それらの作品がデジタル形式で描かれたものだと知って衝撃を受け、さらに Gucci のギフトカタログでは作品点数の膨大さにも驚きました。デジタルペイントにおける独自のスタイルはどのように確立していったのでしょうか?
完璧さに辿り着くには実践を重ねるしかない。自分の手法や思考から良くないアイデアを取り除くために、まずはたくさんの作品を描かなければならなかった。続けていくうちに、まるでダーウィンの自然淘汰説のように、最も魅力的で優れた解決策だけが残っていき、それがシグネチャーとなり、必然的に自らのスタイルへと発展していく。僕は互いに全く異なりながらも間違いなく共に属しているものを描くことで、自分のスタイルをどこまで推し進めることができるのか、そこに強い関心があるんだ。