| English | Japanese |
かなり濃厚な日々ですね。それほど多忙だと他の仕事ができなかったのでは?
できなかったですね (笑)。でも、まだ20代後半だったし、チープでも恥ずかしくない時代だった。音楽を作っているやつ、洋服を作っているやつ、周りのそうした友人はみんなお金がなかったし、僕もそんな環境でも平気でした。そのうちに『 +81 』を見た『GAS BOOK』や『SHIFT Magazine』が「一緒にやろうよ」と声を掛けてくれて、他の媒体も並行してやるように。とはいえ、僕がやっていたメディアはデジタルカルチャーやカッティングエッジなグラフィックデザイン、メディアアートなど、同じようなコンテンツを扱っていたから、全てがシンクロしたムーヴメントといった印象でしたね。
確かに 『+81』 『SHIFT』 『GAS』 など、当時のクリエイティヴカルチャー誌の全てに携わっていましたよね。
一見するとすごいなって思うかもしれないけど、他にやる人がいなかったから僕がアートディレクターとしてなんとなくそこに存在していた感じで。全てをデジタルで処理できる個人のデザイナーはまだ少なかったと思うし、大手デザイン事務所であれば対応できただろうけどギャラが高かったりして。だから僕がちょうど都合のいい存在だったんじゃないかな。
先ほどの話にもありましたが、当時はデジタルデザインの黎明期で、グラフィックデザインそのものがカルチャーだった印象です。
そうだね。盛り上がっていたよね。グラフィックと同じくテクノロジーがベースにあるテクノミュージックやエレクトロミュージックともシンクロしていたし、グラフィックデザイナーにはファッションやマガジン、サイバーパンクとか、いろいろなカルチャーをバックボーンに持つ人も多くて、異なるカルチャーやヴィジュアルが入り混じったカオスなデザインも当時は多かったよね。
グラフィックデザインの在り方も今とは異なると思うのですが、そうした違いを実感しますか?
一般的には、僕らのようなグラフィックデザインの捉え方や使い方とは違って、2000年代後半から2010年代は高いスキルを持つデザイナーが登場し、きちんと社会に機能する(例えばブランディングのような)デザインが主流だったと思う。ただ最近、2021年頃からかな、まるで時代が繰り返すように、カッティングエッジなグラフィックが再生してきたように感じる。僕が若かった頃みたいに、YouTube や SNS を通じてみんなが自由に表現を発信できるようになって、そうした中でカルチャーとしてのグラフィックデザインやその面白さを見受けられるようになってきた気がする。
話は少し戻りますが、『 +81 』から始まって、エディトリアルデザインの知識や技術は実践を通して独学で身に付けていったのですか?
そうですね。とはいえ、大手の出版社であればもっと正統なやり方があったと思うし、当時はエディトリアルの触りを学んだ程度。『GAS BOOK』では毎号凝ったパッケージを作っていたからそうしたデザインの勉強にはなったけど、それも化粧品などのパッケージに比べてしまえばかなり稚拙だったはず。ただ、あの時みんなが最高に欲しいと思えるものを作っていたとは思う。当時編集長だった夏目(彰) くんは歳が近いこともあって、内容やパッケージを一緒に考えたりして本当に楽しかったですよ。