Derek Holzer
Interview (2023)
どのような環境やコミュニティで育ってきたのか、若い頃は何に夢中になったのかなど、あなたのバックグラウンドから教えてください。私は、ニューメキシコ州北部の高地砂漠、サンフランシスコのベイエリア、オレゴン州ポートランドのカスケード山脈の森に囲まれて育ちました。父はさまざまなメディアを使ったアーティストで、私が子供だった頃、彼の大きなスタジオにはあらゆるツールが並べられていて、いろいろと実験していました。幼い頃からこのような環境に身を置くことができて、とても幸運だったと思います。また、私の育ったこの 3 つのエリアは、アメリカの風変わりな人たちが集まる場所だったようで、多くのクリエイティヴな人たちと触れ合いながら育ちました。1960年代のカウンターカルチャーの名残が溢れていて、その難解さに惹かれると同時に反発も覚えました。今でもそうです。ヒッピーアーティストの息子だった私の反抗は科学に没頭することで、考古学者になりたいというのが最初に抱いた夢でした。しかし、高校生の時にサイケデリックドラッグと出会い、科学と神話の世界は思っていた以上に近しいことに気づかされたのです。高校卒業後はまず銀細工師の教育を受けたのですが、私がクラフトやツールにこだわる由来はこの経験にあると思っています。人の手の痕跡がそのものの価値を生むと教えられたし、今でも強くそう信じています。
あなたの審美性や価値観の形成に影響を与えた人物や作品を教えてください。10代の頃、家にあった 2 冊のカタログは、インターネットが普及するずっと前からオルタナティヴカルチャーの検索エンジンのような役割を担っていました。ひとつは、Stewart Brand が1971年に発行した『The Last Whole Earth Catalog』で、サイバネティクス、Buckminster Fuller の建築、カオス理論、エコロジー、持続可能な住宅、ハンドクラフト、オルタナティヴコミュニティ、野生での生存、太陽からのエネルギー採取、植物栽培(サイケやその他の)、そして学校や Hustler 誌では得られないセクシャリティ全般について知ることができました。もうひとつは、『The Last Whole Earth Catalog』の対極にあるような、さほど知られていない『Amok Fourth Dispatch』というカタログです。このカタログは、現実と空想のさまざまな社会的権力構造の分析、犯罪、武器、災害、科学捜査に関する資料の提供、代替精神状態や超心理学の議論、大衆文化の最も奥深い部分を掘り下げ、生命力エネルギーとしてのセクシュアリティの探求を目的とした専門書です。また、連続殺人犯、悪魔崇拝のカルト、亡くなった有名人、緊縛、S&M、陰謀論、フリンジ政治信条など、過激で禁断とされる知識分野についても膨大な文献が掲載されていました。つまり、今のインターネットとさほど変わりません。この 2 冊のカタログは、生き方、やり方、作り方、在り方に関するさまざまな知識とリソースを集めたもので、学校で読まされたどんな本よりも私に影響を与えたと思います。
音楽ではなく “音” に対して常に関心を抱いていたと読みました。具体的にどのような音に惹かれるのでしょうか。また、音楽よりも音そのものに惹かれる理由を自身ではどう捉えていますか?10代の頃に Einstürzende Neubauten、Coil、Skinny Puppy、Throbbing Gristle を初めて聴いて、音楽に対する考え方が一変しました。私の脳は昔から神経学的に奇妙なようで、キーボード、ベース、エレキギターを所持していたにもかかわらず、それらを習得する規律を見つけることができなかった。だから、ノイズやインダストリアルミュージックと出会ったことで、完全に解放された気分になりました。ギターが弾けないのなら、ショッピングカートを叩けばいい。キーボードが弾けないのなら、ラジオからの周波数をサンプリングしてさまざまなピッチでループさせればいい。ベースが弾けないのなら、氷河の穴にマイクをぶら下げたり、輪ゴムやバネにピエゾを付ければ何日でも低音が鳴り続ける。音は巨大な領域であり、多くの人が “音楽” と呼ぶものは小さな領域で、その大きな領域の中で意味を運ぶものとして音声と一部が重なっている。私は、その大きな部分を考察するのが好きなのです。

既存のデバイスを使用するのではなく、自身でデバイスそのものを制作するようになったきっかけは何だったのでしょうか?本格的にサウンドに取り組み始めた1990年代後半、私はアメリカの大学で AM ラジオに取り組んでいて、その後、東ヨーロッパからの最初のインターネット音声生放送に携わりました。音を作成し操作するツールを模索していた私は、他の人たちと同様に海賊版の VST ソフトをダウンロードするようになりました。しかし、それらのほとんどがすでに存在する楽器
さらにもうひとつ興味深い問題があって、それは、本物のシンセやドラムマシンとは異なり、画面上に画像としてあるシンセやドラムマシンは、分解して仕組みを理解したり変更したりできないということ。つまり、プログラマーから提示されたものに限界を感じたのです。そして、その後見つけた Audio Mulch というソフトでさまざまなものを継ぎ合わせ、非常にワイルドなコンビネーションが可能となり、後に Pure Data へ移行しました。 Pure Data では全てがオープンソースなので、他の人が作った楽器を分解したり、リバースエンジニアリングしたり、デザインし直すこともできます。共有とコラボレーションを促進するこのソフトウェアのコミュニティ性が私にとっては非常に重要で、22年前から今に至るまで自作の電子楽器には Pure Data を用いています。
初めてデバイスを制作したのはいつ頃で、どのようなコンセプトのものでしたか。また、その制作過程や完成した機器によってどのような可能性や課題を見いだしましたか?DIY エレクトロニクスの講義を初めて受けたのは1990年代後半ですが、それがいつだったのか正確には覚えていません。ただ、その教え方が衝撃的だったことは鮮明に記憶しています。講師は、数学や理論にとらわれることなく、ただ「使いたいパーツを持ってきなさい」とだけ言い、私たちの作業を手伝ってくれたのです。古いピンボールやアーケードゲームに使われていたサウンドジェネレーター・チップを見つけた私は、“データシートを読み込む” という昔ながらの手法で、それらをシンセサイザーに改造する方法を彼と一緒に考え始めました。アナログ回路を構築する際にやってはならないことを私は全てやってしまったようで、結果はかなり散々たるものでした。その後知り合った Pan Sonic の Mika と Ilpo が、 Jari Lehtinen が彼らのために作った悪名高い “タイプライター” シンセサイザーを見せてくれたのですが、そのパネルを目にした途端、私が使ったものと全く同じチップ「SN76477 Complex Sound Generator」が搭載されていることがわかりました。私の機材にもこのチップがまだ内蔵されているので、その復活を心待ちにしています。