どのような経緯でファッションへの関心は芽生えたのですか。あなたにとって当時からファッションは音楽などのカルチャーとリンクしていたのでしょうか?
地元のレスターにある Wellgosh というストリートウェアのお店で働き始めたことがきっかけで、ストリートのファッションや文化、ヒップホップへの関心が深まりました。同時に、母がいつも作っている編み物や手芸品、それからもちろん父方の文化からも影響を受けています。ジャマイカには、彼らの文化を識別するために音楽や着こなしを通して作り替えられてきたスタイルにまつわる壮大な歴史があって、また、カリブのアイコンである Bob Marley や Peter Tosh のように、偉大なミュージシャンでありながら卓越したスタイルを持つ人たちを僕は尊敬しています。だから、ストリートウェアなどの文化や自分の美学を確立してきた過程、そして、両親や彼らの文化的背景からの影響など、僕は自分のファッション遍歴から多くのインスピレーションを得ているのです。
数あるクリエイティヴな職業からファッションを選んだ理由と、影響を受けたファッションデザイナーやブランドを教えてください。
ファッションデザイナーになると決めた理由は、ストーリーや世界観を伝える最高の手段だと思ったからです。ファッションデザインは服だけでなく、映像やイメージ、ルックブックやショーなどを通じて、自分の信念やアイデアを示すことのできる素晴らしい方法です。影響を受けたデザイナーやブランドに関して言えば、僕は常に幅広く関心を向けていますが、日本では特に山本耀司や川久保玲、さらに、Casey Hayford や Paul Smith といったイギリスのブランドも挙げることができます。また、以前従事していた Nigel Cabourn はデザインチームを含めて素晴らしく、多くの刺激を受けました。彼らは僕にとって、いかにしてブランドを築き、そのレーベルを通して自らの美的デザインを表現し発展させるかを理解するために参考としてきたデザイナーだと言えます。
Central
Saint Martins 在学中からさまざまなデザイナーのもとでインターンシップを経験し、ショップでの販売経験もあるそうですが、自身のブランドを立ち上げて以降、そうした経験はどのように生かされていますか?
Central Saint Martins では BA メンズウェアコースでコレクションのデザインと制作を修学し、さらにテーラリングとメンズウェアの見聞を深めようと Savile Row でインターンをしました。 Savile Row のように豊かな歴史を持つブランドでの経験を積みたかったからです。また、前職である Nigel Cabourn ではインディペンデントなメンズウェアブランドがいかに機能するかを学ぶことができました。そこではいくつかのデザインと生産を担当しましたが、とても貴重な経験で、今日の僕のブランドを発展させるうえでも重要なものになりました。
卒業コレクションではその後も自ら着たいと思える服を制作したそうですが、自身が着たい服を作るという思いは今も変わらないですか?
そうですね。卒業コレクションは僕が受け継いだ DNA を色濃く反映させ、また、自分が着たいと思える服で、さらに、いつもコラボレートしている尊敬すべきクリエイティヴな仲間たちも気に入るような服にしたかった。ウェアラブルな感覚でありながらデザインの面でも突き詰めたかったのです。その後、このコレクションを買い取ってくれた BEAMS JAPAN の支援によって日本市場でビジネスを始動させることができました。だから、卒業コレクションを素晴らしいものにできたことは僕にとって意義深く、そこで作ったいくつかのスタイルやシルエットは今でも見直したり再構築しています。ブランドの起点や成長過程、そして現在、また、これまでの経験や力強いブランドにするために参考にしてきた全てのことが密接に繋がり合っているような感じがします。