| English | Japanese |





その後アートディレクションを手掛けた『SAL Magazine』の表紙はかなり印象的でした。
『SAL Magazine』は作家がそれぞれのアートワークを寄稿していたフリーマガジンで、大判のサイズに加えてタダで配布されるという点も魅力だった。僕は表紙のヴィジュアルもやっていたけれど、編集長の大橋 (二郎) さんが「稲葉くんがやっていることはもうデザインじゃないのでは」と、各号に僕の寄稿ページを設けてくれて。「NEWLINE」を最初に紙面発表したのも『SAL』だったんじゃないかな。大橋さんは『design plex』という雑誌の編集をやっていた人だけど、もともとは飴屋法水さんの「東京グランギニョル」や「M.M.M.」といった演劇出身。そうした背景もあって、彼はアートや表現をトレンドとは別の、もう少し落ち着いた視点で捉えていたように思う。
NEWLINE」の始まりはどのような経緯だったのですか?
例えば、『 +81 』ではアーティストのインタビューや、彼らのポートレートや作品など、あらゆる要素を扱っていたし、雑誌としてのトレンドもあって、それらの兼ね合いを少なからず意識しなければならなかった。『 +81 』だけでなく仕事としてのデザインは当然だけど余分なものが入っていたし、純粋な表現というわけではなかった。その反動もあっただろうし、もしかしたら大衆デザインへのアンチテーゼだったのかもしれない。とにかく外部からの要因やトレンドなどを全て取り払って、グラフィックの中にある純粋な面白さ、単純なグラフィックの造形と向き合いたいと思ったんだよね。自分のやりたいことを自ら発明したり展開したり、今の言葉でいうと「Study」にあたるのかな。だから「NEWLINE」は自分にとって大きなターニングポイントですね。「NEWLINE」という言葉は『SHIFT』の大口 (岳人) さんが僕の作品を見て言った言葉で、プログラミング用語で「改行」を意味する制御コード。その意味どおり、日々考えていることを一旦改行して新しいラインを始める、そんな考え方が必要だと思ったんだ。