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つまり、自身に「改行」の必要を感じたことが創作の動機に?
そういうことだと思う。あと「NEWLINE」という言葉は、作品で使っている細い線、ヘアラインにもかかっている。僕はエディトリアルをやっている時もただ線を描いているような、設計図を描くような感覚でやっていて。多くのデザイナーはまずグリッドラインを考え、そのラインに沿ってデザインを進行するといったアプローチを取ると思う。だけど僕は学生時代にシャープペンと製図用具で膨大な量の線を引き、ひたすら図面を描いていたベースがあるから、エディトリアルでも設計しているような感覚。例えば、以前はフォントもたくさん作っていたけど、それをフォントとはあまり捉えていなくて、アウトラインで見ると結局は曲線や直線の集合体なわけだから「まあ、設計だよね」と思っていた。
もしも今「 冊まるごとお願いします」とエディトリアルデザインの依頼を受けたらいかがでしょうか?
正直、困りますね。説明が難しいけれど、僕の作るグラフィックを音楽に例えると、まずそれをどんなフォーマットで提供しようかと考える。データか CD なのかレコードなのか、生演奏なのか。そして生演奏であればその場所や空間、音響やセッティングまで、その音楽をより良い環境でみんなに届けられるように考えて選ぶ。同時に、楽曲はそのフォーマットに合わせて作られているから、 CD 用に作った楽曲をライヴで提供するにはアレンジを施す必要がある。それと同じようなことがグラフィックにも存在している。そう考えると、僕が今選ぶべきフォーマットにエディトリアルが適しているのかはわからない。ただ、2011年から2015年までに手掛けた Espace Louis Vuitton の仕事では、図録のエディトリアルもやっていましたね。無料配布されるものだと聞いて。
SAL Magazineもそうですが、フリーでの配布に惹かれるのはなぜでしょうか?
さっきの話に通じるけど、クラブのフライヤーみたいに「いいな」と思ったリアルなものを自由に手に取れるってちょっと面白いと思うんだよね。エディトリアルの際は特にそう思う。もしくは、その価値に見合ったすごく高価な本にも惹かれる。逆に言うと「こんな本はなくてもいいのに」と思うような本を高く売ったり、強引に仕事を作っている人たちもいる。そういうのが嫌なんだよね。
少し話に触れた Espace Louis Vuitton のプロジェクトの具体的な経緯を教えてください。
2011年に Louis Vuitton が東京に展示施設を作り、同時に Xavier Veilhan (フランス人アーティスト) がそこで展覧会を開催する、そのためのヴィジュアルや装飾、図録といったグラフィックが必要だということで、パリからディレクターや Veilhan さんが訪ねてきてくれた。今も続けているけど、2015年までは数多くのヴィジュアルやグラフィックを担当していました。僕が作っているものをよく理解してもらっていたし、アイデアに「これをもう少し発展させて…」といった意見交換もすごく勉強になりました。その点においてもさっきの音楽の例え話に繋がるけど、当初はその時の勢いで作っていたり、小さなアイデアだったとしても、時を経てからそれを再生しようとすると、不思議と聴こえ方が以前とは違っている。そこが面白い。そして、またそこから楽器やテンポを変えたりアップデートして。 Espace Louis Vuitton のヴィジュアルではそんなアプローチをすることが結構ありました。