Soloist. で宮下さんが目指したもの、追求しようとしたものは何でしたか?
最初の入り口はたくさんありましたが、洋服を作るということをある程度理解してしまっていた時だったので、非常に生意気な感じでやっていたと思います。例えば、デザインに入る前段階の話で、「なぜ洋服を組み立てるのに副資材を使わないといけないのか」と、アーミッシュの村の人々が電気を使わないのと同様に、ケミカルな芯地などの副資材は僕には必要ないという考えで取り組んでみたり。「なぜカットソーにしか使われないソーイングマシンが存在しているのか」という疑問から、そうしたソーイングマシンを取り入れてみたり。それから、人の手が見えるようなものが量産されるのは不思議なことだろうと、ボタンをあえてばらばらに染めたり、ギャザーは全て目分量で入れるように指示したりと、当初取り組んだのはそういったことでしたね。あと、最初の数年はパジャマスーツという、アイロンをかける必要のないフォーマルウェアを作っていました。その頃の Soloist. は今リリースしていたらよかったような服がありそうですけどね。
Soloist. の発端も然り、宮下さんの創作の根底には「なぜこうなのか」「なぜこうしてはいけないのか」といった既存のものに対する疑問があるようですが、疑問を抱くその姿勢は今も変わっていないですか?
変わらないですね。常に疑問だらけです。ただそれは、過去に生まれてきた素晴らしいものを否定しているわけではなく、素晴らしいものだと理解したうえで、「それもまだ完成されていないのではないか」という疑問があるということです。例えば、黒人音楽をベースにしていた The Rolling Stones は、いまだにそれを崩さずに続けている。それは「もっとうまくできるはず」「もっと進化できるのではないか」と信じていて、現状に納得できていないからでしょう。僕もそういうふうになれたらいいなと。まあ、なれないでしょうけど、日々の努力が必要だということですね。
ファッションデザインにおける進化とは何を意味するのでしょうか?
なんでしょうか。突き詰めると、「ファッションデザインに留まることがファッションデザイナーにとってのゴールなのか」といったことになると思います。僕は (Aleksander
Mikhailovich) Rodchenko みたいになりたいと何十年も前から思っていました。そうすればあらゆることができるでしょうから。以前までは尊敬するデザイナーを尋ねられると、 Ralph Lauren だとか適当なことを言っていましたが、周囲の親しい人にはずっと「 Rodchenko になりたい」と話していましたね。
では、できることなら全てをやりたいと?
できるはずですからね、洋服を創造できる人であれば。物語を創造しながら作るでしょうから、環境さえ整えば全てできるはずです。時間は十分にありますから。
時間が足りないということはないですか?
時間はたっぷりあると思います。ただ、洋服だけに集中していると時間は足りなくなります。ひと括りのことしか見えなくなってしまいますから。