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 2022 AW「The ERA」は映像での発表になりましたが、ショーで発表できないもどかしさ、もしくは、映像による発表への可能性などは感じていますか?
ファッションショーと映像は全くの別物です。映像でファッションショーをやる方もいますが、それは全く意味のないことだと僕は思っています。映像はライヴではないですし、ショーが映像になることも、映像がショーになることもない。ただ、せっかく映像を発表するのであれば脚本を書いて、きちんと撮って作ったほうがいいと考えているだけです。ショーも映像もどちらもいいことだと思っているし、両方できるのが理想的ですね。
では、映像制作にも面白味を見いだしているのですね?
面白いですね。映像制作においても僕は編集作業が好きなのかもしれません。撮影してゼロを 1 にした状態で一度放置しておいてから、その 1 を何かしらの値へと持っていく編集作業が面白い。ただ、映像の制作でもピントが定まってはっきりと見えるまでに時間がかかります。パンデミックになってから映像はこれで 4 作目ですが、今はなぜか映像を作ることが下手になっている気がします。またそこでも壁にぶち当たって、自分の理想に全てが追いついていない状態です。
ショーや映像以外で、プレゼンテーションの方法について新たなアイデアはありますか?
やりたいことやアイデアはありますが、僕の考えていることは僕が生きている間には残念ながら実現しないと思います。
 NUMBER (N)INE でのデビューから26年経ちますが、ファッションデザイナーとしての自身の成長をどのように捉えることができますか?
ファッションデザインにおける僕の経験値なんて相当低いと思います。いったいいつになったら勉強が終わるのか。まあ、一生勉強を続けるしかないですね。そもそも何も作っていないし、何も生みだしていないわけですから。
「何も」というのは?
まず人間の形が変わらないですから、新しいものが出てこないですよね。今の子たちは手足が長い、背が高い、頭や顔が小さいと言っても、この30年で変わったことといえばそれくらい。他は何も変化していないですから、いろいろと想像してみても変わらないです。
人間の形に変化がない限り、洋服の進化には限界があるということ?
限界を設けてしまうと、それはまた僕がやめる要因になってしまう。だから限界は作りたくないのですが、すでに縛られたルールは存在しているわけです。例えば、人間の首が 360 度回転するとか、関節が逆に動くとか、そうなれば新しい服が作れます。でも、決してそうはならないでしょうから、ある程度決まった法則がある中で僕はどういうパフォーマンスをできるのか、どこまで限界値を押し広げることができるのか、その戦いですよね。
宮下さんにとってファッションの概念とはどういうものですか?
ずっと同じことを言い続けていますが、アートに最も近い存在であり、アートになり損ねている存在のもの。映画や音楽はアートとして認められているけれど、ファッションだけがアートになっていない。それは決定的な   “何か”   が足りないからだと思うし、その   “何か”   を僕は探しているのだと思います。同じように考えているデザイナーは少なからず他にもいるのではないでしょうか。
でも、どのデザイナーもアートには辿り着けていない?
できていないですね。誰かがやってくれたら景色が変わると思うのですが。
では、アートの概念とは?
そこに辿り着けていないので、全く未知の世界というか。そのアートという秘密クラブに入ることができれば、どんな世界なのか初めて気づくことができるのでしょうけど、わからないということは、やはり僕はまだその世界に入れていないということでしょうね。
ファッションはアートに達することができると思いますか?
できると信じているので続けています。
この数年で人々の意識やライフスタイルは大きく変化したように思いますが、ファッションデザイナーとして今という時代をどのように捉えていますか?
低迷期というか、悪く言ってしまえば氷河期ですね。誰かがこれを打ち破ってくれないと何も変わらないでしょうし、困ってしまいます。ただ、そこは人任せというか、それを打破する人間は少なからず僕である必要はないし、僕でないことは確かですね。
ファッションだけに限らず社会全体が低迷していると?
全てにおいてじゃないでしょうか。何も生まれてきていないですから。新しく何かを生みだそうとしても、今のこの状況だとなかなか難しいと思いますし。特にファッションは人の意見や潮流に流されやすいものだし、きちんと芯が通っていないので尚更でしょう。そうした点もファッションがアートになり得ない要因のひとつですよね。
人任せという話がありましたが、宮下さんが今のファッション業界やファッションを取り巻く環境に求めるものは何でしょうか?
世界の海を支配するような巨大な船がいくつかあって、そのうちの特殊なひとつに全くの異分子が入り込んで、その異分子が船の環境や権限を利用して思いきり自由に創作する状況ができれば、何かが変わるかもしれないですね。インディペンデントな人間とそうした巨大な船、今はその戦いにもなっていないので不自由でしかない。本来であれば戦いは確実に生まれるべきでしょうし、その戦いを経てこそ「洋服は自由だ!」と自由宣言できるのではないでしょうか。
人々はファッションをどう楽しむべきだと思いますか?
考え方は人それぞれだと思いますが、洋服は着るためだけのものじゃないという考えもひとつにありますよね。「ファッションには着ない楽しみもある」、そこにファッションがアートになり得る要因があるのかもしれないと思います。けれど一方で、僕の中には「着られない洋服なんて作ってどうするんだ」という思いもある。どちらにも転べちゃうので本当に困ります。洋服って本当に何なのでしょうね。ただ、主張性があまりないものであることは確かです。そうですね、ファッションとは、洋服とは、いったい何かと問われると、ひょっとしたら何でもないのかもしれないです。
宮下さん自身は今、ファッションや洋服をどう楽しんでいますか?
特別にどこかへ出かけることもないですし、どうでしょうか。でも、この洋服はいったいどういうふうに作られているのかなと、夏休みの自由研究のようなことはしています。
他のデザイナーのコレクションや洋服を見て、魅力を感じるものに共通する要素はありますか?
他の人のコレクションを追って見ることはあまりないのですが、ある程度ひとつのことを信じて、それを進化させながら続けている方のコレクションを拝見すると、かっこいいなと思います。前回とそっくりのように見えて完全に異なるというか、使っているコード進行は同じでも全く新しいメロディになっていたりする。その術を僕も手に入れたいと思うのですが、僕の場合は楽器ごと全て変えてしまいたくなる性格なので、そうしたことに余計に憧れを抱くのかもしれません。
個人的な希望を含めて、この先のヴィジョンを聞かせてください。
つい数週間前まではパリに戻りたいという思いでしたが、今は、僕が僕でやれる場所があるならそれをやりたい。ただそう思うだけです。
宮下さんにとってパリでのショーはやはり特別ですか?
そうですね。あそこはお祭りでも何でもない、戦いの場です。負けたくはないですから、中途半端な状態では行きたくない。そういう場所です。
コレクションを終えた際は達成感を味わうことができますか?
達成感というものは今までに一度も味わったことがないです。ただ、終えた時は疲れています。脳まで休めてしまうと次を始められないので、体を少し休めるだけです。
絶え間なく考え続けていて、空っぽになる瞬間はないのですか?
空っぽにしたほうがいいので、その努力をすべきですが、残念ながら僕は下手くそなので空っぽにはなれないのかもしれません。