テンポを変えてプレイするのは、ある意味で原曲の制作者の意図とは異なる解釈を提示していることになりますが、それについてどう感じていますか。また、制作者から何らかの反応をもらったことは?
Maurizio何人かのアーティストは自分の楽曲をスローモーションで聴くのを楽しんでいたよ。これについては Ugo に話してもらおう。
Ugo多くのアーティストが驚くし、彼らはそれがどのように可能であるかすら理解できないけど、それは単に彼らが自分の作品の原案とオリジナルの音に縛られているからだよ。 Maurizio が言うとおり、数人のアーティストはこの変貌に感激して受け入れてくれた。例えば、僕らがローマで開催しているパーティ「Tropicantesimo」で Donato Dozzy の『Gol』のトラックをスローダウンして『Perfidia』という楽曲としてプレイした時は、彼もこの試みに感動していた。リミックスを依頼してくれたイタリア人アーティストの Cosmo の反応も同様で、彼のトラックをスローでかけてグルーヴィなバラッドに変えたところ、それをきっかけに、彼はライヴでその曲をスローヴァージョンで演奏することにしたんだ。
Front de Cadeaux at Tropicantesimo
Fanfulla Roma 15th March 2015
パーティで高速テンポのテクノなどが続くと、音楽に揺られるというよりも、むしろ急かされているような感覚に陥ることがあります。多くの若者があのような速いテンポを好む理由はどこにあると思いますか?
Maurizioファッションとドラッグのせいだよ。アンフェタミンやコカインのような興奮剤は拍動を加速させ、ケタミンのような解離性薬物は拍動を減速させる傾向がある。音楽シーンは流行りのドラッグと繋がりが深いからね。
Ugoいろいろな理由があると思うけど、 Maurizio が言ったことに間違いはないよ。ただ付け加えたいのは、理由はドラッグだけじゃなくて、経験せずとも時間を消費する必要性や、空間と音の衝突も含まれると思う。それってまさに現代ならではの話だよね。
どんなレコードでも速度を落として成立するわけではないと思いますが、もとの曲のクオリティと 33rpm でかけた時のそれは比例するものですか。実際にレコードに針を落として 33rpm で聴いてみないとわからないものでしょうか?
Maurizio速度を変えると音が面白くなるのはもちろんだけど、レコードを 1 枚ずつ試して、ピッチを落としても耐えうるか、プレスのクオリティなどを確認しないとならない。なによりも重要なのは、低音の音質と生みだされるグルーヴだね。
レコードとデータでは同じ音源でも速度を落とした時の音色や音質は物理的に異なると思いますが、体感としてはどのような違いがありますか?
Maurizioサウンドと物理的体感で言えば、催眠音楽に似た感覚で、身体の動きを官能的にするね。
Ugo僕らの身体はもはやリズムのバイナリグリッドに押されることも急かされることもない感じがする。テクスチャの中に動きで追えるアクセントが増えて、速いテンポだけでなく遅い “カデンツァ” でも追えるようになった。そして、トラックのドラマツルギー (作劇法)はよりサイケデリックになって、ナレーションの常識が通用しなくなることがほとんど。特にミキシングでは、その “間” を長く設けることでサイケデリックな効果が得られるんだ。