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理解されて評価されるまでに時差が生じるのですね。その時差は自身でコントロールしているわけではないのですか?
そういうことになるよね。「発表したい」という欲もあまりないから、作ると満足してしまって、そこで一旦寝かせてしまう。だから余計に時差が生じてしまうのかも。でも、時差があるからこそ、時間が経った時に最新の感覚で再生できるし、作った当初は自分で気づけていないことも寝かせたことで発見できたり、他の人から改めて「あれ、いいね」と言われて触発されることもある。作品自体も成熟するのに時間がかかるからね。
10年経っても古く映らないのはすごいですね。
さっきも話したけれど、「NEWLINE」を始めた時に、とにかく何もないものを作ろうと思った。真空状態の中で作られる、何なのかわからないようなものを。単純な造形の面白さやアイデアを入れ込んでいるだけだから、いつ作られたものなのかわからないし、時代感がないのかもね。グラフィックは、特に僕の作るものは静止画が多いから、映画や音楽みたいに時間軸が存在せず、ぱっと見ただけで瞬時に雰囲気や感覚を伝えることができる。僕がグラフィックを好きな理由のひとつはそこにある。深く説明せずとも、見る人の感情に変化を起こす何かを提供する、それを強調させるためには他の人の考えや時代の要素などを混ぜずに、真空状態で作ったほうが追求できるんだよね。
確かに稲葉さんのアートワークからは真空的な印象を受けますが、同時に、機械だけでは作れない有機性も感じます。
図面とかプロダクトデザインとか、機能と相まって異なる次元の美しさがあったりする。分子や粒子の構造とプログラミングの構造が似ていたり、都会の風景が電子基盤と似ていたり、一見機械的で無機質に映るそれらのものも、生命が作りだすものの中には有機的な魅力が宿るし、そこには機械だけでは生み出せない美しさがあるよね。数学といえばそうかもしれないけど、もっと根本的な…。
外的な要素を遮断するということですが、創作の起点となる発想は自身の内から生まれてくるのですか?
よく「降りてくる」という言葉を使うけど、それに対して僕はずっと「そんなわけないじゃん」と思っていた。だけど最近になって「あるかもしれない」と思い始めた。というのも、自分の中で考えていることやさまざまな知識が無意識のうちに複雑化していて、深く考えるわけでもなく、頭の片隅でそれらを情報処理している。そして体調や気分のいい時に、まとまって解決できたりする。そういう意味で「降りてくる」というのか、タイミングのようなものは存在するのかなと今は思います。
それはどんな感覚なのでしょう。ふと湧いてくる感じですか?
どうだろう。作り始めてみると、何か形になっていくみたいなことはある。ただ、始めてしまうと面倒臭いことになるって自分でわかっているから、なかなかやる気にならない。「コンピュータやメモ帳に火を灯してしまうとまた大変なことになる」って。だから始める時は慎重になりますね。でも、いざやり始めるとパズルを解くみたいに「これはこっち」「あれはああしたほうがいい」という感じで没頭していく。そうなるともう他のことは何も考えなくなります。
創作している作品はどの段階で完成と見なすのでしょうか?
どれも完成していないんじゃないかな。未完成だけど仕方なく途中でアウトプットしているというか。作品として世に出したものでも、その後に情報量を加えて調整したり、アップデートしているわけだし、結局は全てが未完なんだと思う。他の人の考えや要素を排除した真空状態で作ってきたけど、年齢のせいか時代のせいなのか、最近はコラボレーションすることもあって。そこで僕自身もすごく勉強になって刺激を受けたりして、それを自己制作に反映しようかと考えたりもする。
コラボレーションというのは具体的に?
僕と同じようにヴィジュアルを作る人とのコラボレーションは少ないですね。言うなれば、企業との仕事もコラボレーションと言えるし、その場合はどうしたって相手の意向が制作に入る。そこで相手が同じような考えを持つ人だとすごくシンクロするんだよね。もともと僕が考えていたことがベースにあって、それを再利用しながらも、相手の考えを入れてアップデートするみたいな感じ。あと、作品を展開していく上で、例えば立体的なものを作ろうとなった時には建築家やプロダクトデザイナーと組んで設計することもあります。
立体作品があるのですか?
「このアートワークを立体にしてみたい」と声を掛けてもらう機会が続いて、オブジェや石の造形など現在制作中のものがいくつかあります。2018年に出版社 Goliga のロゴを作ったんだけど、それを立体化してアートブックフェアなどで壁に掛けたら好評だったらしく、その画像を Instagram に投稿したり、そういうこともきっかけになったのかもしれない。僕の作るいくつかのヴィジュアルは立体によって拡張されるようで、例えば2019年に作った仙六屋のロゴも、建築の upsetters が立体化してくれて実際に設置してみると、みんなが納得できるものになった。