Nigh Magazine
Issue 2
Issue 2
Afterwords
何か特別な方向性を意図した企画ではないかぎり、アーティストやデザイナーへの取材では彼らのバックグラウンドに関する質問から始めることが多い。どんな子供時代を送り、青春時代は何に夢中になり、どんな音楽や作品と出会い、何から受けた影響が今に繋がっているのか。過去を語ることに煩わしさを感じる人も稀にいるが、意外と多くの人が自分の中に仕舞われた昔の記憶や出来事を情感豊かに話してくれる。
そうして相手の軌跡をざっくりとでも知ることで、その人の姿は陰影を伴い立体的に映りはじめる。また、無意識にも相手の背景と自分のものを重ねていて、全く違う環境で生まれ育ったはずなのに何かしら似た感覚の情景に触れることが多く、そうすると、相手に対する関心がより詳細になって、その人の語る内容への理解も深まっていく。もちろんインタビューの主題は相手の “今” の視点や思考なのだが、「どうしてそう思うの」 「なぜそうなったの」 幼い子供が抱くようなそうした根幹的な疑問を辿ると、結局のところ、その答えはその人の背景にしか由来していない。今目の前にいるその人は、いきなりぱっと出来あがった人物ではないのだ。
『The
Days till Now (今に至る日々) 』 をテーマに設けた今号では、独自の姿勢で創作に臨む各分野のアーティストを取り上げ、文字どおり、今の彼らを形成するこれまでの日々やそれに伴う意識の変遷を尋ねた。では、彼らに投げかけた質問を自分に問うてみるとどうか。どの質問に対しても全くちょうどいい言葉をすぐには見つけることができない。これまでの経験を通して少なからずいろいろと感じたり思ったりしてきたはずなのに、それらをぼんやりとさせたままにしておいた自分のせいだろう。人間の内には言葉にならないものがあるのは確かだ。それでもなんとか伝えようと、表に出そうとすることで、少しは形のようなものになる。一度形にしたものは自分の内で印となって刻まれるし、ようやく他人と共有できるものになる。漠然と思っているだけで形にしなければ、それは無いのと同じことだ。アイデアや作品も同じことだろう。
自分に関する質問に自分の言葉で答えるというのは、実に大変な作業だと思う。まずは自分と向き合わなければならない。今の自分だけでなく、これまでの自分とも。そして、それが記憶であれ意見であれ、言葉に変換する対象が純粋なものであればあるほど、言葉が純粋さに追いつかなくなり、その作業はより困難になるのだと思う。しかし、今回応じてくれたアーティストは、その途轍もなく困難な作業に真摯に取り組んでくれた。だからこそ、彼らの内にある純粋さが、語られた内容だけでなく、選んだ言葉やその使い方にも独自の色を与えて現れているように感じる。
とりとめのないあとがきとなってしまって恐縮だが、編集作業の終わりが見えてきた今思っていることを、そのままに書いてみた。相変わらずどこかぼんやりとしているが。とはいえ、貴重な時間を割いてそんなふうに取材に応じてくれたアーティストの方々への感謝の思いだけは明白だ。しかしこの切実な思いもまた「ありがとう」という馴染みの言葉ではどうにも伝え尽くせない気がしてしまう。
そうして相手の軌跡をざっくりとでも知ることで、その人の姿は陰影を伴い立体的に映りはじめる。また、無意識にも相手の背景と自分のものを重ねていて、全く違う環境で生まれ育ったはずなのに何かしら似た感覚の情景に触れることが多く、そうすると、相手に対する関心がより詳細になって、その人の語る内容への理解も深まっていく。もちろんインタビューの主題は相手の “今” の視点や思考なのだが、
自分に関する質問に自分の言葉で答えるというのは、実に大変な作業だと思う。まずは自分と向き合わなければならない。今の自分だけでなく、これまでの自分とも。そして、それが記憶であれ意見であれ、言葉に変換する対象が純粋なものであればあるほど、言葉が純粋さに追いつかなくなり、その作業はより困難になるのだと思う。しかし、今回応じてくれたアーティストは、その途轍もなく困難な作業に真摯に取り組んでくれた。だからこそ、彼らの内にある純粋さが、語られた内容だけでなく、選んだ言葉やその使い方にも独自の色を与えて現れているように感じる。
とりとめのないあとがきとなってしまって恐縮だが、編集作業の終わりが見えてきた今思っていることを、そのままに書いてみた。相変わらずどこかぼんやりとしているが。とはいえ、貴重な時間を割いてそんなふうに取材に応じてくれたアーティストの方々への感謝の思いだけは明白だ。しかしこの切実な思いもまた「ありがとう」という馴染みの言葉ではどうにも伝え尽くせない気がしてしまう。
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Nahoko Mori
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